春分
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    今日は3月21日で春分・春分の日です。

     

    春分(しゅんぶん)は、二十四節気の第4。
    昼と夜の長さがほぼ等しくなる(後述の理由により厳密には昼の方が若干長い)。
    二月中(旧暦2月内)。

    現在広まっている定気法では、太陽が春分点を通過した瞬間、すなわち太陽黄経が0度となったときで、3月21日ごろ。
    暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とし、日のほうは春分日(しゅんぶんび)と呼ぶ。
    恒気法では冬至から1/4年(約91.31日)後で3月23日ごろ。

    期間としての意味もあり、この日から、次の節気の清明前日までである。

     

    記念日

    「春分の日」も参照

    日本ではこの日は国民の祝日の「春分の日」となる。
    春分の日は、国立天文台の算出する定気法による春分日を基にして閣議決定され、前年2月1日に暦要項として官報で告示される。
    天文学に基づいて年ごとに決定される国家の祝日は世界的にみても珍しい。
    また、この日をはさんで前後7日間が春の彼岸である。
    第二次大戦前は春季皇霊祭として祭日であった。

    イラン暦の元日、ノウルーズ(nawrūz)はちょうど春分の日に当たり、イランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われる祭日である。
    ヨーロッパなどでも、春分をもって春の開始とする。
    いくつかの国では休日とされる。

     

    春分の日の太陽光の当たり方。

    春分では太陽は赤道上にあるため、天文的な位置関係からは昼夜の長さが等しくなるように思えるが、実際は違う。
    キリスト教で復活祭の日付を算出するには、春分を基点とし、春分後最初の満月の次の日曜日を復活祭の日と定める。
    この算出方法をコンプトゥスという。
    ただし、ここでいう「春分」は暦の上での3月21日に固定されており、太陽黄経が0度の日とは必ずしも一致しない。
    「満月」も簡素化した計算によって求められており、天文学上の満月とは必ずしも一致しない。
    この算定法は第1ニカイア公会議で定められた。

     

    昼夜の長さ

    『暦便覧』に「日天の中を行て昼夜等分の時なり」と記されているとおり、春分では昼夜の長さがほぼ同じになる。
    しかし、実際には、昼の方が夜よりも長い。
    日本付近では、年により差があり、平均すれば昼が夜よりも約14分長い。
    これは、次の理由による。
    大気差大気による屈折で太陽の位置が実際より上に見えるため、太陽が上に見える角度の分、日出が早く、日没が遅くなる。
    屈折は太陽が地平線に近いほど大きくなる。
    国立天文台では、太陽が地平線付近にある時の、その角度を35分8秒と見積もっている。
    ここから計算される日出・日没の時間の差は約2分20秒である。
    太陽の視角太陽の上端が地平線と一致した時刻を日出あるいは日没と定義しているため。
    これにより、太陽の半径の分、日出が早く、日没が遅くなる。
    ここから計算される日出・日没の時間の差は約1分5秒である。
    日周視差太陽の距離÷地球の半径は有限なので、視差により、0.7秒日の出が遅く、0.7秒日の入りが早くなる。
    春分のずれ1日の間にも太陽の黄経は変わるため、春分が1日のいつかにより昼夜の長さに差が出る。
    この効果は昼夜の長さを最大で±1.1分変える。
    ただし平均には影響を与えない。
    これらを合わせると、日出は、太陽の中心が地平線から昇るより平均3分25秒早く、日没は、太陽の中心が地平線より沈むより平均3分25秒遅くなる。
    したがって、春分の日の昼の長さは平均12時間7分、夜の長さは平均11時間53分である。
    そして、実際に昼夜の長さの差が最も小さくなる日は春分の4日程度前になる。

    春分日には、太陽は真東から昇って真西に沈む。
    赤道上の観測者から見ると、太陽は正午に天頂を通過する。
    北極点または南極点の観測者から見ると、春分の太陽はちょうど地平線と重なるようにして動き、昇ることも沈むこともない。

     

    七十二候

    春分の期間の七十二候は以下のとおり。
     初候
      雀始巣(すずめ はじめて すくう) :雀が巣を構え始める(日本)

    雀始めて巣くうイメージ画像
      玄鳥至(げんちょう いたる) :燕が南からやって来る(中国)
     次候
      桜始開(さくら はじめて ひらく) :桜の花が咲き始める(日本)

    桜始めて開くイメージ画像
      雷乃発声(かみなり すなわち こえを はっす) :遠くで雷の音がし始める(中国)
     末候
      雷乃発声(らい すなわち こえを はっす) :遠くで雷の音がし始める(日本)

    雷乃声を発すイメージ画像
      始雷(はじめて いなびかりす) :稲光が初めて光る(中国)

     

    春分の日

    通例、3月20日から3月21日ごろのいずれか1日。

    しばしば、「昼と夜の長さが同じになる。」といわれるが、実際は昼の方が長い。詳細は春分を参照のこと。
    また、本項において、国民の祝日となる日を「春分の日」、天文学上の春分が生じる日を「春分日」と区別する。

     

    国民の祝日

    「春分の日」は、日本の国民の祝日の一つである。
    1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)によって制定された。
    祝日法第2条では「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としている。
    「春分の日」の日付については後述。

    休日としては、1878年(明治11年)改正の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治11年6月5日太政官布告第23号)による春季皇霊祭から続くもので、1947年(昭和22年)に廃止される休日ニ關スル件(昭和2年3月4日勅令第25号)までこの名称だった。

    仏教各派ではこの日「春季彼岸会」が行われ、宗派問わず墓参りをする人も多い。

    イラン暦の元旦。
    かつてペルシア帝国の文化的影響下にあったイランを中心に、中央アジアからアフリカまでに及ぶ広い地域で祝われるノウルーズという祭日であり、毎年春分の日に各国の文化交流会によるイベントが行われている。

    なお、海岸法(昭和31年5月12日法律第101号)第3条は、海岸保全区域の指定における満潮時・干潮時は、指定の日の属する年の春分の日の満潮時・干潮時を基準とすると定めている。

     

    日付

    「春分の日」の具体的日付は、たいてい3月20日から3月21日ごろのいずれか1日となる。
    祝日法の上では「春分の日 春分日」つまり同法上の「春分の日」を「春分日」とすることのみが規定され、日付は固定されていない。
    実際の各年の「春分の日」は、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づき閣議において決定され、決定する日の前年2月第1平日付の官報で暦要項として公告される。
    すなわち、天文学における「春分日」は、天文観測に基づいて地球の運行状態などが変わらないと仮定できる範囲で2年後以降のものも計算により特定できるが、国民の祝日としての「春分の日」は前年の2月にならなければその通りとまでは確定できない。
    ただし、これまでのところ天文計算によって求められた「春分日」以外が「春分の日」とされたことはない。
    天文計算の「春分日」は、1990年から2025年までは閏年とその翌年が3月20日になり、その他の年は3月21日となる。
    それ以降、2026年からは閏年の前年が3月21日になり、その他の年は3月20日となる。
    また、2092年の春分日は3月19日となる
    現行の祝日法ができる以前ではあるが1923年の春季皇霊祭(春分の日)は3月22日であった。
                        (Wikipediaより)

     


     

    春分(しゅんぶん)

    3月21日頃(2015年は3月21日)。
    および清明までの期間。
    太陽黄径0度(春分点)
    啓蟄から数えて15日目頃。

    地球の赤道を延長した天の赤道と太陽の通り道の黄道がちょうど交差したところが黄径0度。
    春分とは、太陽がちょうど黄径0度(春分点)に到達した瞬間のこと。
    太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになります。
    この日から夏至まで、昼がだんだん長くなり、夜が短くなります。
    ヨーロッパなどでは、春分をもって春の始まりとしています。

    春分・秋分の3日前から7日間をそれぞれ春の彼岸、秋の彼岸とします。
    春分・秋分は「彼岸の中日」といいます。彼岸は日本独自の行事です。

    雷が稲光り雷声が轟き始める時季でもあります。
    暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように、寒さは和らぎ過ごしやすい季節になります。
    桜の開花情報が聞かれるのもこの頃からです。

    官報で発表
    祝日の春分の日は前年の2月1日に国立天文台が官報で発表する「春分日」を基準にして決められます。

     

    季節の言葉
    菜種梅雨(なたねづゆ)
     3月下旬から4月上旬、菜の花の咲くころに降る梅雨時のような雨のこと。
     花咲く時節の雨なので「花を催す雨」→「催花雨(さいかう)」とも呼ばれています。
     「催花」と同じ音の「菜花」をあてたという説もあります。



    育花雨(いくかう)
    花や木の生育を促す春の雨のこと。「養花雨(ようかう)」ともいいます。

     


      
    社日(しゃにち)
    春分、秋分に最も近い戊(つちのえ/いぬ)の日のこと。(前後同日数の場合は、前の方の戌の日を社日とします)

    「社」は、生まれた土地の神様(産土神・うぶすながみ)のこと。
    この日に産土神を参り、春には五穀豊穣を祈り、秋には収穫の感謝をします。

    春の社日は種まきの時期、秋の社日は収穫の時期にあたり、農業において大切な時期になります。


    彼岸

    彼岸(ひがん)は雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。
    この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。

    最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)と呼ぶ。

    俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な六つの徳目「六波羅蜜」を1日に一つずつ修める日とされている。


    起源

    語源

    サンスクリット pāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する。

    Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。
    悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途川とは無関係)、その向こう岸に涅槃があるとする。

    ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。


    由来

    彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられる。

    浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。

    春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。

    もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。
    心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ。

    しかし後述のように、天皇の詔として始められた行事であったが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。

    彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも言える。
    日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのである。
    仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もある。

     

    歴史

    806年(大同元年)、日本で初めて彼岸会が行われた。
    このとき崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と『日本後紀』に記述されている。

     

    風習

    供物

    日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが一般的である。
    これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる。


    気候

    日本の気候を表す慣用句に「暑さ寒さも彼岸まで」があり、残寒・残暑は彼岸のころまで続き、彼岸をすぎるとやわらぐという。

     

    季語

    俳諧では「彼岸」は春の彼岸を意味し、「彼岸」「彼岸前」「彼岸過」「中日」は春の季語である。

    これに対し、秋の彼岸は「秋彼岸」「秋の彼岸」という。

                        (日本の行事・暦より)

     

     

     

     

     

    ぼたもち

     

    ぼたもち(牡丹餅)とは、もち米とうるち米を混ぜたものを(または単にもち米を)蒸すあるいは炊き、米粒が残る程度に軽く搗いて丸めたものに餡をまぶした食べ物である。
    米を半分潰すことから「はんごろし」と呼ばれることもある。
    同様の食べ物に「おはぎ」(御萩)あるいは「はぎのもち」(萩の餅)と呼ばれる食べ物があるが「ぼたもち」との関係については諸説ある。

     

    概要

    ぼたもち(こし餡を用いたもの)


    かつて砂糖が貴重品であった時代には塩餡が用いられていた。
    来客のもてなしや田植えの後の寄り合い、子供のおやつ、また法要の際などに供された。
    こし餡のものとつぶし餡のものがある。
    小豆餡のほか、きな粉を用いたもの、青海苔を用いたもの、胡麻を用いたもの、ずんだを用いたものなどもある。
    表面に餡をまぶす以外のものでは、にぎり飯の具材のように中に餡を詰めることもある。

    多くの和菓子にいえることだが、隠し味として餡にごくわずかの塩を加えるか、搗いたものを握るときに手を適度な塩水に浸してから握ることで、より一層甘味が引き立つ。

    昔はぼたもちのことを「かいもちひ(かいもち、掻餅)」と呼んでいた。
    ただし、一部では蕎麦がきを指すとする説もある(参考「いざ、かいもちひせむ」(宇治拾遺物語))。
    土用入りの頃に作る場合、土用餅という言い方もする。
    英語でも日本語のまま「Botamochi」と呼ぶ。

     

    名称

    「ぼたもち」と「おはぎ」の関係

    ぼたもち(牡丹餅)とおはぎ(御萩)の関係については諸説ある。
    春のものを「ぼたもち」、秋のものを「おはぎ」とする説、
    語源については、それぞれ、「ぼたもち」については牡丹の花に似せてこれを見立てたものであるとする説があり、

                牡丹の花

     

    「おはぎ」については萩の花が咲き乱れている様子に見立てたものであるとする説がある。その上で春のものは「ぼたもち」、秋のものは「おはぎ」と名前が異なっているだけであるとする説がある。

    萩の花

                萩の花


    なお、東京では春秋ともに「おはぎ」と呼んでいたとの指摘がある。

    もち米を主とするものが「ぼたもち」、うるち米を主とするものが「おはぎ」であるとする説
    餡(小豆餡)を用いたものが「ぼたもち」、きな粉を用いたものが「おはぎ」であるとする説
    その他の説 「ぼたもち」は、ぼたぼたした感じに由来するという説
    『物類称呼』(1775年)では「おはぎ」は「女の詞」であるとする(女房言葉を参照)


    また、地方によって
    こし餡を使ったものをぼたもち、つぶ餡や煮た小豆そのままを使ったものをおはぎ(逆の場合もあり)
    餡ではなく中の米の状態によって区別し、完全にもちの状態まで搗いたものをぼたもち、搗いた米の粒が残っているものをおはぎ

    とするなど、さまざまな場合がある。

    小売店等では春に「おはぎ」、秋に「ぼたもち」として販売していることもある。
    食材事典などでは食品としては同じものであり「ぼたもち」と「おはぎ」は名前が異なるだけで同じものを指すものとして扱われている場合も多い。

     

    季節ごとの呼称

    上記の「同じ物を春はぼたもち、秋はおはぎと呼ぶ」とする説では、(現代ではほとんど使われていないものの)夏と冬にも正式な呼び名が存在する。
    ここでは季節ごとの「ぼたもち」の呼び名とその由来を挙げる。
    春 牡丹餅
    牡丹の花が咲く季節、すなわち春の彼岸に、神仏や先祖への供物とされた小豆餡の様子を、牡丹の花に見立てたことから。
    和漢三才図会には「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」と記されている。
    夏 夜船(よふね)
    ぼたもちは、もちと作り方が異なるため、「ペッタン、ペッタン」という音を出さずに作ることができ、隣に住む人には、いつ搗いたのか分からない。
    そこで、 「搗き知らず」→「着き知らず」と言葉遊びをして、夜は暗くて船がいつ着いたのか分からないことから。
    秋 御萩
    牡丹餅と同じく、小豆餡の様子を秋の彼岸の時期に咲く萩の花に見立てたことから。
    冬 北窓(きたまど)
    夜船と同様に、 「搗き知らず」→「月知らず」と言葉遊びをして、月を知らない、つまり月が見えないのは北側の窓だ、ということから。


    ことわざ

    「ぼたもち」という言葉が使われることわざは多く、日本人の生活や意識に密着した食べ物であったことがうかがえる。
    ●棚から牡丹餅
    努力することなしに予期しない幸運が舞い込んでくること。
    「たなぼた」と省略することもある。
    「開いた口に牡丹餅」ともいう。
    ●牡丹餅で腰打つ
    幸運が向こうから舞い込んでくること。
    「牡丹餅食って砂糖の木に登る」ともいう。
    ●牡丹餅の塩の過ぎたのと女の口の過ぎたのは取り返しがつかない
    牡丹餅は、餡の甘味を強くするために塩を少量入れるが、入れ過ぎると味が壊れて取返しがつかない。
    口数が多い女性をたしなめる下の句を強調するための引き合いとして。
    ●牡丹餅は米 辛抱は金
    辛抱が何よりも大切であるということ。
    ●牡丹餅は棚から落ちてこず
    思いがけない幸運が転がり込むなどという偶然は、まず起きないということ。

     

    歴史

    おはぎの原型はもち米と小豆を炊いたもので作られていた。
    しかし、明治以降、砂糖が庶民の手の届くものとなり、次第に現在のように甘いおはぎが作られるようになった。
    また、小豆には邪気を払う効果があると信じられていたために、邪気を払う食べ物としての先祖の供養の際にお供えをしたのがはじまりとされている。
    このため、彼岸や四十九日の忌明けに食べる風習が定着したものと考えられる。
                        (Wikipediaより)

     

    posted by: 1513neoya | とはずがたり | 02:05 | comments(0) | - |