十三夜   唄 市丸
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    今日10月21日は、旧暦の9月13日で十三夜です。

     

    十五夜と同じようにお月見をします。

     

    十五夜はあまりすっきりしない夜空である事が多いのに対し、十三夜の夜は比較的晴れる事が多く「十三夜に曇り無し」という言葉もあります。

     

    今日は雲一つ無い快晴です。(追記6:00)

     

    十三夜の月(栗名月) 2018年はいつ?読み方は?

     

    十三夜

    のちの月ともいう。

    太陰暦の毎月 13日の夜,またその夜の月のことをいう。

    狭義には8月 15日の夜 (十五夜) に次いで月見が行われる太陰暦9月 13日の夜のことをいう。

    十三夜の月見には,収穫期に入るくりや豆を供えるところから,くり名月,豆名月の名もある。

    『躬恒集 (みつねしゅう) 』に「清涼殿の南のつまに御清水流れ出でたり,この前栽にささら川あり,延喜十九年九月十三日に月の宴せしめ給ふ」とあるところから,平安時代,醍醐天皇の宮中で延喜 19年 (919) に行われたのが,記録としての最初とされている。

                        (コトバンクより)

     

     

    十三夜  唄 市丸   作詞 石松秋二   作曲 長津義司

     

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    https://youtu.be/NlfjT8UF_K4

     

    河岸の柳のゆきずりに

    ふと見合わせる 顔と顔

    立ちどまり

    懐かしいやら 嬉しいやら

    青い月夜の 十三夜

     

    端唄 青柳の蔭に誰やら 居るわいな

       人じゃござんせぬ 朧月夜の えゝ 影法師

     

    夢のむかしを 別れては

    面影ばかり 遠い人

    話すにも

    何から話す 振り袖を

    抱いて泣きたい 十三夜

     

    空を千鳥が とんでいる

    今さら泣いて なんとしょう

    さよならと

    こよない言葉 かけました

    青い月夜の 十三夜

                         (You Tubeより)

     

     

    もう一つの名月・十三夜の月  

     

    中秋の名月(旧暦八月十五日)の話題を書いたところ複数の方から、

    「十三夜の月」はいつですか?

    というお問い合わせを頂きました。
    中には、「十五夜の月と十三夜の月はどちらも月見しないと片月見(かたつきみ)といって、良くないことだと教えられたのですが」といった方までいらっしゃいました。

    日本の伝統文化が失われつつあると嘆かれる昨今、「まだまだ日本人も捨てたもんじゃないな」と一人、感心しておりました。


    豆名月 
    中秋の名月を芋名月というのに対し、九月十三夜の月を豆名月あるいは栗名月といいます。作物の収穫時期が芋より豆・栗の方が遅いと言うことですか。

    十三夜の月見 
    中秋の名月は中国で行われていた行事ですが、こちら十三夜の月見は日本独特の風習だそうです。

    一説には宇多法皇が九月十三夜の月を愛で「無双」と賞したことが始まりとも、醍醐天皇の時代(延喜十九年:西暦 919年)に開かれた観月の宴が風習化したものとも言われます。

    ですが、本当はそういった風習がすでに存在して、それが追認する形で宮廷行事に取り入れられたと言うのが本当ではないかと思っています(作者の独断)。


    栗 

     

    十三夜の月見は、一月前の中秋の名月の月見に対して後の月見と呼びます。

    片月見(かたつきみ) 
    東京近辺では、十五夜の月と十三夜の月は同じ庭で見るものとされ、別のところで見ることを「片月見」あるいは「片見月」といって嫌ったそうです。私の生まれたところでは聞かない風習です。

     

    片月見の禁忌は遊里の営業戦略? (2009.10.3 追記)
    江戸では片月見は「片付見」に通じるとして忌まれたとか。
    中秋の月見を自宅以外で眺めると、片月見とならないように後の月見も中秋の月見をした場所に出かけていって眺めないといけない。

    この慣習は江戸の遊里、吉原の客寄せの一環として生まれたという説があります。

    中秋の名月の日を吉原で遊べば、片月見を避けるためには必然的に後の月の日も登楼しなければならないようになると言うわけです。

    これだけが本当に片月見の禁忌の原因かは疑わしいところもありますが、その影響もきっとあったろうとは考えられます。

    吉原ではどちらの月見の日も「紋日」という特別な日とされ、客達はいつも以上に気前のよいところを見せるために散財したとか。そのためでしょうか、

      月宮殿へ二度のぼるいたい事 

    といういう川柳も残っています。ちなみに「月宮殿」は吉原の別名。

    見栄を張る客達の懐は大分「痛い事」がよくわかります。

     

     

     

     

    十五夜と十三夜の月の姿

    十五夜 VS 十三夜
    十五夜 十五夜
     十五夜の月   十三夜の月



    右の画像は、このサイトで使用している月の満ち欠けの画像の十五夜の月と十三夜の月の画像を比較のために並べたものです。

    違いに気づきますか?
    まあ、この画像を見ればわかりますが、気をつけてみない限り十五夜も十三夜も同じ画像に見えませんか?
    このサイトの作者はいい加減ですので、「どっちでもいいんじゃない」と言っちゃいそうです。

    でもやっぱり「どっちでもいいんじゃない?」。

     

     

    余談


    八月十五日、九月十三日は婁宿なり 徒然草二百三十九段に「八月十五日、九月十三日は婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なるが故に月をもてあそぶに良夜とす」と有ります。

    ここで云う「宿」とは二十八宿のこと。

    ただし兼好法師の時代の暦(宣明暦)ではインド式の二十七宿を使っていました。

    この二十八宿(二十七宿も同じ)の「宿」は、もともと月がその日どの星座(中国式の星座)に有るかを表したものでした。

    「婁宿」の婁は星座の名前です(現在のおひつじ座の頭辺りです)。

    この宣明暦の二十七宿方式では、確かに八月十五日と九月十三日の星宿は「婁」ですので、どちらの日も月はほぼ同じ星座の方角に見えたことになります。

    月は一暦月の間に日付で云えば大体二日分だけ星宿が進みますから、八月の十五夜と九月の十三夜が同じ星宿になるのは、あたりまえといえばあたりまえなのですが、二つの月見の日は月が同じ星座(星宿)にあったと云うのは、なんだか不思議な気がしますね。

    ただし、月が本当に「婁宿」に見えた時代は大体2000年くらい前のこと。

    兼好法師が生きていた時代だと、月は地球の歳差運動という動きの影響で星宿1〜2宿分くらい遡って「奎宿」か「壁宿」辺りにあったはずです。

    まあ、細かなことは云わないことにしましょう。
    ちなみに、現代なら月は「危宿」か「室宿」(ペガスス座〜みずがめ座)あたりに見えるはずです。
     

                         (暦と天文の雑学より)

     

    posted by: 1513neoya | とはずがたり | 02:37 | comments(0) | - |