秩父夜祭
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       平成26年12月3日 写真撮影neoya

     

    秩父夜祭

    秩父夜祭(ちちぶよまつり)は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、毎年12月1日から6日に行われる。
    12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、冬の花火大会で全国的に知られている。
    祭りは寛文年間から続くとされ、300年以上の歴史がある。
    日本屈指の極めて豪華な祭りであり、一連の行事が国の重要無形民俗文化財に指定されている。

    大祭の12月3日の午後6時半頃に、秩父神社から1キロメートルほど離れた御旅所に向けて御神幸行列が出発し、6台の笠鉾・屋台がそれに続く。
    御旅所下の急坂、団子坂を最大20トンの笠鉾・屋台が多くの曳き手によって曳き上げられる頃に祭りは最高潮を迎える。

    秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられる。

    秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられる。
    金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、国の重要有形民俗文化財に指定されている。

    同一の祭礼について国の重要有形民俗文化財および重要無形民俗文化財の両方に指定されているものは日本全国に5例しかなく、秩父夜祭はそのうちの一つであり、歴史的・文化的に非常に価値の高い祭りである。

    2016年12月1日、エチオピアで開かれたユネスコの政府間委員会で、日本の「山・鉾・屋台行事」(18府県の計33件)のユネスコ無形文化遺産への登録が決定した。
    これにより、「秩父祭の屋台行事と神楽」がユネスコ無形文化遺産へ正式に登録された。

     

    概要

    笠鉾・屋台は、1962年(昭和37年)に重要有形民俗文化財に指定されている。
    また、例大祭の付け祭りに公開される笠鉾や屋台の曳行(えいこう)と、曳行のための秩父屋台囃子(ちちぶやたいばやし)、屋台上の秩父歌舞伎や曳踊り等の一連の行事が、1979年(昭和54年)に「秩父祭の屋台行事と神楽」として重要無形民俗文化財に指定されている。

     

    2日は宵宮(宵祭り・宵まち)で、御神馬奉納の儀、神楽奉奏、屋台曳き回しなどがある。
    この日は笠鉾・屋台のうち屋台4台が運行され、秩父神社への宮参りや、夜にかけて本町・中町・上町通りの曳き回しが行われる。
    また、夜には「番場町諏訪渡り」神事のほか、3日に比べると規模が小さいものの花火の打ち上げも行われる。

     

    3日は大祭であり、日中に御神馬宮詣、神楽奉奏、例大祭祭典、笠鉾・屋台曳き回しなどがある。
    笠鉾・屋台は本町・中町・上町通りを曳き回される(夕方には一部の屋台が秩父駅前通りおよび秩父まつり会館前を経由して秩父神社に向かう)。
    また、笠鉾2台の秩父神社への宮参りも行われる。

     

    屋台4台のうち1台では「屋台芝居」が上演される。
    それぞれの屋台は、左右に張り出し舞台をつけられるように設計されており、年ごとの当番制で屋台芝居の舞台となる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    3日夜は神幸祭となり、午後6時半頃に御神幸行列が秩父神社を出発する。
    先頭は、先導大麻、大榊、猿田彦、日月万燈、楽人、錦旗、御手箱、太刀箱の列である。
    次に氏子町会の供物・高張提灯の長い列が続く。
    その後ろに、御神饌、大幣、そして御霊が遷された神輿、宮司、大総代、2頭の神馬が続く。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


    笠鉾・屋台行列は御神幸行列の後であり、秩父神社を午後7時頃から順次出発する。

    御旅所への到着は、御神幸行列が午後8時頃、笠鉾・屋台行列はその後、午後10時頃にかけてである。
    御旅所の手前に団子坂があり、笠鉾・屋台がそれぞれ一気に曳き上げられる。
    同時に、煙火町会による奉納花火や観光協会主催の花火の打ち上げも行われ、団子坂の曳き上げや御旅所に整列する頃が祭りの最高潮となる。

    笠鉾・屋台の整列が終わると御旅所斎場祭が厳かに行われる。
    斎場祭終了後、4日午前0時頃から団子坂の曳き下ろしが行われ、笠鉾・屋台は収蔵庫へ向けて帰還する。
    また御神幸行列が御旅所を出発し、秩父神社に還幸する。

    笠鉾・屋台の通過経路(神幸路)には、経路最大の見所である団子坂に通じている道路上に秩父鉄道秩父本線の踏切がある。


    これは、御花畑駅構内の三峰口方の踏切で、車窓から団子坂を臨むことができる。
    この踏切は、御神幸の神事を行うため笠鉾・屋台の通過の支障となる架線を一時的に取り外すことが可能な構造になっている。

     

     

     


    3日大祭の19時〜22時前後にかけて同線の秩父〜影森間は運休となり、例大祭当日は秩父鉄道秩父本線ならびに西武鉄道池袋線・西武秩父線では、ダイヤが大幅に変更され、列車も増発される。

     


    また、終了が深夜になるため、最終電車も大幅に繰り下げられる。
    笠鉾・屋台が曳き回される道にある道路標識や信号機は、すべて折りたためる構造となっている。


    由来

    祭りの起源

    秩父地方は、令制国が整備される前の時代、知知夫国(知々夫国・秩父国)が置かれた地域である。
    崇神天皇の時代に、知知夫彦命(ちちぶひこ の みこと)が初代知々夫国造に任じられている。
    秩父神社は、知知夫彦命が祖神である八意思兼命(やごころおもいかね の みこと)を祀ったことに始まるとされている。
    また、知知夫彦命は養蚕と機織りを教示したと伝えられる。

     

    令制国として武蔵国が成立した後も、708年(和銅元年)に武蔵国秩父郡から和銅が献上されたことを記念して「和銅」改元や「和同開珎」の鋳造が行われるなど、古くから朝廷と結びつきがあり、交易が行われていた地域である。

     

     

     

     

    秩父神社は中世になると、秩父氏(坂東八平氏の一つ)の祖先である平良文により妙見菩薩が合祀され、妙見宮秩父神社となったと伝えられる。
    江戸時代には秩父大宮妙見宮として、日本百観音の秩父三十四箇所(秩父札所観音霊場)とともに栄えた。

     秩父観音霊場 十三番札所 旗下山 慈眼寺

     

     秩父観音霊場 三十四番札所 日沢山 水潜寺

     日本百観音霊場結願所


    現在でも神幸祭(御神幸行列や御旅所斎場祭ほか)の祭礼の中などに、古くからの秩父神社例大祭の形態が残っているとされる。
    例大祭の「付け祭り」として笠鉾・屋台が曳かれ始めるようになったのは、約300年前の寛文年間の頃と伝えられている。

    かつて秩父夜祭は「霜月大祭」との呼び名があった。
    これは霜月である旧暦11月3日に行われていたことによる。
    明治初期の太陽暦採用により新暦の12月3日に移行した。
    また「お蚕祭り」とも呼ばれた。


    秩父地方は、桑の生育に適した土地であったため、田畑の他に現金収入となる養蚕・絹織が盛んであった。
    江戸時代には絹の生産量が増大し、「秩父絹」として江戸をはじめ広く知られるようになった。
    各地に取引のための絹市が開かれ、大宮郷(現在の秩父市中心部)では1・6の市日の六斎市が行われている。
    特に秩父神社の「霜月大祭」では「絹大市」も行われた。
    その市に遠方から来る人々を楽しませるためにはじめられたものが、笠鉾・屋台などの「付け祭り」だとされる。


    秩父神社の例祭に関する言い伝

    秩父神社の例祭は、知知夫国に知知夫彦が大神を祭ったとされる時代か、それ以前から神奈備山である武甲山への信仰として行われてきたものが起源ではないかと言われる。
    真夜中に神社と武甲山の間にある御旅所で神事を執り行うというのが最大の特徴である(斎場祭が行われるのは夜の10時以降であり、神幸行列が神社にもどると朝の4時をすぎる)。

    秩父神社は地理的に見ても神奈備山である武甲山からみて北面に位置し、秩父神社の本殿は再建前も現在も真北を向いているとされ北辰信仰の影響があるのは明白である。

     

     


    北辰信仰がいつごろから行われてきたのかは定かではないが、妙見菩薩習合以前からの信仰と指摘する人もいる。

    秩父夜祭は、御田植祭で秩父市中町の秩父今宮神社の境内にある武甲山から湧き出た水(水幣)を、その年の収穫を祝うと同時に武甲山に還す祭とも伝えられている。

    また、最も知れ渡っている有名な伝説は武甲山の男神(蛇神・蔵王権現)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が年に一度の逢瀬を楽しむというものである。

     

     


    男神には正妻がいて、神幸路の途中にある番場町諏訪神社の八坂刀売命であるとされる。
    2日に行われる「番場町諏訪渡り」は、年に1度の逢瀬を楽しむ許可を求める祭礼だといわれている。
    また、御神幸祭のときには諏訪神社の前を通過する際、各町会の山車は正妻の女神を怒らせないように例外的に屋台囃子の演奏を止め数メートルすすむ。
    この風習も諏訪渡りと呼ばれている。

    御神幸祭では御田植祭で使用した縄の蛇に大榊を立てたものを供物として運ぶ。
    御旅所では亀石(亀は妙見菩薩の乗り物)に神社の幣束を立て神事を行う。

     

     

     

    市指定史跡

      秩父神社大祭御旅所

     

     秩父神社大祭の神幸祭は、十二月

    三日この御旅所を中心に行われる。

    国の重要有形民俗文化財に指定され

    る秩父祭の笠鉾・屋台六基が曳き揃

    えられるのもこの御旅所前である。

     山車供奉の起源は詳らかでないが

    秩父神社の古記録によれば、神幸祭

    に供奉する屋台の記述は江戸寛文年

    間(一六六一年〜七三年)にあり、

    その頃と思われる。

     なお御旅所中央の亀の子石は、当

    日神幸の大幣がその背に立てられる

    神聖なもので江戸末期まで秩父神社

    が妙見宮と呼ばれていた時代の信仰

    に由来するものである。

     

     昭和二十九年十一月三日指定

           管理者 秩父神社

           秩父市教育委員会


    日程

    12月1日から6日の間に下記の行事が執り行われる。
    秩父夜祭は、御本殿清浄の儀から始まり、例大祭完遂奉告祭で終わる
    12月1日 御本殿清浄の儀、例大祭奉行祈願祭
    12月2日 御神馬奉納の儀、新穀奉献祭、諏訪渡り 宮地、上町、中町、本町 屋台曳き廻し、屋台曳き踊り、屋台芝居公開、花火打ち上げ※屋台芝居担当町会の曳き廻し無し

    12月3日 献幣使参向例大祭々典 御神幸祭、神幸行列進発、御神輿発御、御斎場祭、御神輿還幸 国の重要有形民俗文化財「笠鉾・屋台」曳き廻し、屋台曳き踊り、屋台芝居公開、協議花火と観光スターマイン大会

    12月4日 蚕糸祭
    12月5日 産業発展・交通安全祈願祭
    12月6日 新穀奉献感謝祭 例大祭完遂奉告祭

                        (Wikipediaより)

                        (写真撮影neoya)

     

    posted by: 1513neoya | とはずがたり | 03:38 | comments(0) | - |