カウンター

Search
Calendar
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>
New Entries
Category
Archives
Profile
Links
http://neoya.lomo.jp/
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
足慣らしで高崎線沿いを歩く。
0

    平成22年3月14日

     

    お四国を歩くのに足を慣らしておこうと思い、

    9時55分普門幼稚園を出て高崎線沿いを歩きます。

    昨日は、氷川神社から見沼の方を北上して約10卻發ました。

     

     

    大宮総合車両センター

    以前は工機部と称して大宮の発展の源でした。

    私の叔父もここで働いておりました。

     

     

    新幹線が出来たときに作られたニューシャトルの大成駅です。

    後に鉄道博物館が出来て鉄道博物館駅となりました。

     

     

    大宮大成鉄道村寝台特急北斗星

     

     

    大宮大成鉄道村

     

    でこいち    寝台特急    食事処

    元気風呂(湯) 北斗星(宿)  展望車

     

     

    大成跨線橋

     

    地元では大成橋と呼んでいます。

     

     

    左は埼京線  右は高崎線

     

     

    国道17号 日本橋から33km

     

     

    右を走っているのはニューシャトルの車輌です。

     

     

    10時55分 JR宮原駅に着きました。

    約1時間かかりました。

     

     

    石仏 何の仏様なのか分かりません。

     

     

    馬喰新田

     

     

    白木蓮

     

     

    11時59分 上尾駅東口

    約2時間歩きました。

     

     

    12時33分 北上尾駅

     

     

    13時10分 桶川駅前

     

     

    土蔵作り

     

     

    中山道 桶川宿

     

     

    左 上尾宿 三十四町

     

     

    右 鴻巣宿 一里三十町

     

     

    中山道 桶川宿

     

     

    桶川宿はこんなところ

    ●どこに

     桶川宿は、日本橋から10里余り、江戸から6番目の宿として

    開かれました。この距離は、現代のマラソンの距離とほぼ同じ

    で、健脚であった江戸時代の人々のほぼ1日の行程にあたりま

    す。

    ●街の生い立ち

     中山道は、徳川家康が天正18年(1590)に江戸に本拠を置い

    た後、五街道の一つとして整備が進められました。やがて、関

    ヶ原の合戦を経て、江戸幕府による全国支配の確立の中で街道

    と伝馬制度が整えられ、三代将軍家光によって参勤交代の制度

    が確立した寛永12年(1635)ころには、ここ桶川宿もすでに成

    立していたと考えられます。

     宿場の開設当初に近い寛永14年に58軒であった宿場の戸数は、

    紅花が取り引きされるようになった寛政12年(1800)には247

    軒に達し、桶川宿も「町」としての姿を示すようになったようで

    す。

     

     

     その後、桶川宿は、「中山道もの」といわれた麦や、紅花の集散

    地として栄え、幕末に近い天保年間(1840年ころ)には、家数

    347軒に達しています。中山道桶川宿は、明治に至り、明治18

    年(1885)の高崎線桶川駅の開業とともに、宿場としての役割を

    終えますが、以降、近代をとおして、埼玉県中央部における麦

    の集散地として、その繁栄は続きます。

    ●出来事 ー皇女和宮のお泊まりー

     桶川宿は、加賀百万石前田家をはじめとする参勤交代の大名

    を迎え、15代将軍徳川慶喜の父君である水戸烈公徳川斉昭もこ

    の地に足跡を残しています。

     文久元年(1861)には、近世中山道の最後を飾る大通行として

    知られる皇女和宮の江戸下向のときには、ここ桶川宿は、一行の

    宿泊と人馬の継ぎ立てに大きな役割をはたしています。11月13

    日、和宮を迎える桶川宿には、3万人を超える人々が行列の通

    行のために集められたと記録されています。

     

     

    ●中山道67次

     東海道をはじめとする五街道の一つとして、江戸幕府によっ

    てその道筋が整えられた中山道。その道程は、近江国(滋賀県)

    草津宿で東海道から分かれ、守山宿から板橋宿までの67次の宿

    場を経て、江戸日本橋に至ります。また、京までの草津宿と大

    津宿を加え、木曽街道69次とも呼びならわされてもいました。

     山岳地帯を通るこの道は、和田峠、碓氷峠などの難所をもち

    ます。しかし、夏には涼しく、大きな川を渡ることもなかった

    ため、多くの旅人に利用されました。

    ●中山道データ

     草津宿〜日本橋の距離/129里 8町(約507km)

     桶川宿〜日本橋の距離/  10里14町(約41km)

     

    posted by: 1513neoya | 歩きお遍路 | 03:54 | comments(0) | - |