明治神宮御苑 秀紫 鶴の毛衣 連城璧
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    引き続き明治神宮御苑で撮した花菖蒲を載せていきます。

    解説に加茂花菖蒲園花菖蒲データベース等を添えています。

     

    6月13日

     

     

     

    秀紫

     

     

    秀 紫   ひでむらさき   HIDE MURASAKI

    江戸系   中晩   やや紅がかる濃紫の三英花。

    花径は18cm程度の大輪から極大輪。
    草丈は70cm内外。

    性質はやや弱く、繁殖も少ない。

    江戸花菖蒲の古花の一つで、明治の30年代に作出されたもの。

    江戸古花の中では大きな花で、肥後系と言っても不思議はないほど堂々とした花である。

    だ、花弁が凹凸の縮緬地で、よく見ると肥後系とは異なる印象を受ける。

                   (加茂花菖蒲園花菖蒲データベースより)

     

     

     

     

    鶴の毛衣

     

     

    鶴の毛衣   つるのけごろも   TSURU NO KEGOROMO

    江戸系   中生   純白の気品ある三英花。

    花径はおよそ16cm前後の中輪。

    独特の先端がやや尖ったような花弁が特徴。

    草丈は60cm前後。

    性質は弱く繁殖も少ない。

    江戸花菖蒲古花のなかでも、松平菖翁の作出した「菖翁花」と呼ばれている品種の一つで、菖翁花は現在10数種類が現存しているものと思われる。
    この品種は、菖翁の花菖蒲品種目録「花菖蒲花銘」に記載され、菖翁花の中ではよく知られている。

     

    菖翁昔語り 
    菖翁という人物を知るには、「花菖培養録」を読んでみると良い。

    加茂花菖蒲園のホームページにUPされているし、現代語に訳になってているので、読むのは簡単である。

    難しい内容でもないし、菖翁の花菖蒲を思う気持いたる所から伝わってくる。

    園芸の古文書としても、何度読んでも興味深い内容である。

    私は自序の個所は暗記してしまった。

    そして、この本の内容を知ってこそ「宇 宙」の良さがわかるというものである。

    この本を読んでみると、菖翁は花の品格ということをしきりと言っている。

    世間で一般に広まっている花は、単純な平咲きで品がないものであるとか、

    「花の位においては三英に限るけれども、近年珍しく(豪華な)花が出尽くしたので、三英、六英のような花は見慣れてしまって眼を驚かすことはできない。三英花と並べると、花の品位は劣るけれども、八重千英の花形は昔にはなかったもになので未曾有の珍花である。」

    というふうに、花の品格を重視した上で、自らが作出した八重咲きのことを語っている。

                   (加茂花菖蒲園花菖蒲データベースより)

     

     

     

     

    連城璧

     

     

    連城の璧   れんじょうのたま   RENJHO NO TAMA

    江戸系   中生   薄い藤紫の六英花。

    花径はおよそ14cm程度の中輪。
    草丈は低く50cm程度。

    性質は丈夫で繁殖も良い。

    しかし、葉の色がやや黄色っぽいので、花が浮き立たない。

    江戸花菖蒲の古花の中でも、松平菖翁が作出した、「菖翁花」と呼ばれている品種の一つ。
    菖翁花の中では一番丈夫で繁殖も良いので、普及しており、安価に販売されていた時代のもあるが、その歴史的な価値としては、たいへん貴重な品種である。
    江戸末期の弘化、嘉永年代頃の作。

    よく、「連城の
    」と読んだり、種苗会社からの注文書などにも、よくこう書いて来る人がいるが、カベではなく「璧」である。

    この名前は、中国の古事からとったもので、多くの城と交換してくれと言われても惜しいほど素晴らしい玉(ぎょく)というほどの意味で、つまりそれほど素晴らしい花なのだという意味である。
    菖翁という人は、京都では禁裏付などの仕事もしていたためか、博学で上流階級の人物であった。
    彼の作花は300品種に迫るが、和歌や能楽、中国の古事から取った名称も多く、そういった教養がないと何を意図しているのか理解が難しい。

    花菖蒲は江戸時代、端午の節句の祭りの花としての性格を持っていた。

    堀切では、さまざまな切花を江戸向けに生産出荷していたが、花菖蒲も端午の節句の祭りの花として生産しており、それが花菖蒲園に発展していったのが、堀切の花菖蒲園である。

    しかし菖翁は、節句の祭りの花という花菖蒲の性格を追求せず、たとえ節句には間に合わなくても、花そのものの美を追求し、花菖蒲を純粋な芸術にまで高めた。

    また「花菖培養録」などの著作を書き表すことで文化性を持たせ、その業績を熊本に伝えることで、熊本花菖蒲(肥後系)の始祖ともなり、彼自身の思想を後世に残した。

    それが菖翁が花菖蒲中興の祖と呼ばれる所以である。

    菖翁昔語り 
    菖翁の花菖蒲栽培は一つ一つ命名してはいなかった。

    ただ番号を付けて栽培してあった。

    それで毎年開花の時になれば臨時に命名して観賞されたものである。

    たとえば8種の花を選出して、近江八景にちなんで命名し、白花を「比良の暮雪」、絞りを「唐崎の雨夜」というふうに観賞し、翌年は前年の比良の暮雪が「加茂川」と命名されるといったありさまで一定していなかった。
    しかし、菖翁が熊本に苗を送るとき、名前が無くては困るだろうからと言って、この時はじめて各種に命名して送られたから、それ以来、花菖蒲に固有の名称があるようになった。

    菖翁は、一つの花に二つの名前を与えたこともあった。

    すなわち「昇 竜」という花は咲き始めは昇 竜で、咲き尽くしたところで「古金襴」と改名した。

    また「漣」という花は、咲き始めは玉状になるから「連城の壁」と云い、開けば「漣」と称えられた。

    (「肥後藩の物産家と園芸家」熊本 上妻文庫より)

                   (加茂花菖蒲園花菖蒲データベースより)

     

    posted by: 1513neoya | 植物 | 03:35 | comments(0) | - |