四国八十八ヶ所霊場 第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺 山門
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    平成22年3月21日

     

    6時44分 四国八十八ヶ所霊場 第1番札所 竺和山 一乗院 霊山寺

    山門が見えて来ました。(じくわざん いちじょういん りょうざんじ)

     

    これから四国八十八ヶ所霊場の歩きお遍路が始まります。

    緊張します。

     

    もう既に誰か立っています。

     

     

    近付くとマネキン人形です。

     

     

    四國第一番 霊山寺

     

     

    扁額「軸和山」

     

     

    仁王像 阿形

     

     

    仁王像 吽形

     

     

    四国第一番 霊山寺

     

    6時46分 いよいよ山門をくぐります。

     

     

     

     

    posted by: 1513neoya | 歩きお遍路 | 03:35 | comments(0) | - |
    霊山寺門前のお遍路宿
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      平成22年3月21日

       

      國幣中社 大麻比古神社

       

      大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)は、徳島県鳴門市大麻町板東にある神社。式内社(名神大社)、阿波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

      通称として「大麻さん」とも呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。境内は大麻山県立自然公園に指定されている。

                          (Wikipediaより)

       

       

      四國第一番

       

      霊場 霊山寺

       

       

      昭和三戊辰三月吉日

       

       

      民宿 かどや椿荘

       

      ここの宿は、四国八十八箇所霊場を廻り終えて

      和歌山の高野山にお礼参り行く時にお世話になりました。

       

       

      民宿 阿波

       

       

      民宿 つしまや

       

       

      posted by: 1513neoya | 歩きお遍路 | 03:52 | comments(0) | - |
      旧正月・春節
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        今日2月5日は、旧正月・春節です。

         

        旧正月

              北京東城区の地壇公園での旧正月

         

        旧正月(きゅうしょうがつ)は、旧暦の正月(年初)。
        旧暦元日(旧暦1月1日)、またはそれから始まる数日間のことである。

         

        概説

        ここで言う旧暦とは、狭義には、中国・日本・朝鮮半島・ベトナム等でかつて使われていた、中国暦およびその変種のこと(基本的に中華圏では時憲暦、日本では天保暦を指す)であるが、下述するように、広義には、モンゴルのチベット仏教暦、東南アジア諸国の上座部仏教暦のように、他の地域・文化圏の旧暦を含む場合もある。

        旧暦1月1日は、通常雨水(2月19日ごろ)の直前の朔日であり、1月21日ごろから2月20日ごろまでを毎年移動する。
        旧暦で平年だった年は翌年の旧正月は約11日後退し、閏月があれば約18日進む。

        中国大陸・香港・台灣・韓国・ベトナム・モンゴル・ブルネイ等では、最も重要な祝祭日の一つであり、グレゴリオ暦(新暦)の正月よりずっと盛大に祝われる。
        ほかに、シンガポール、マレーシア、インドネシア、ミャンマーなど中華圏の影響の強い華人(中国系住民)の多い東南アジア諸国、世界各地の中華街などではChinese New Yearとして祝われる。
        ただし日本では、沖縄・奄美の一部地域や中華街等を除けば、現在はグレゴリオ暦の正月が祝われることが多い。

        なお、旧正月は全ての国や地域で同じ日とは限らない。
        これらについては後で詳細に述べる。
        ・日本・ベトナム等の旧正月は、時差により、中国標準時を使っている他国と異なることがある。
        ・モンゴルの旧正月は、中国暦とは別系統のモンゴル暦(en)の年初なので、他国と異なることが多い。

         

        中国文化圏
        日本語 - 旧正月(きゅうしょうがつ)
        中国語 - 春節(簡体字では春节、繁体字では春節)、新年(新年、新年)、新春(新春、新春)、大年(大年、大年)、農暦年(农历年、農曆年)、農暦新年(农历新年、農曆新年)、旧暦年(旧历年、舊曆年)、元旦(元旦、元旦)
        朝鮮語 - ソルラル(설날)、ソル(설)、陰暦ソル(음력설(陰歷설))、クジョン(旧正、구정)(韓国語版)、北朝鮮ではソルミョンジョル(설명절(설名節))と呼ばれることが多い。
        ベトナム語 - テト(Tết、漢字では節)、テトグェンダン(Tết Nguyên Đán、節元旦)(en)
        英語 - Chinese New Year (CNY)、Lunar New Year、Chinese Lunar New Year、Spring Festival、Tet(ベトナムの)、○○(国名の形容詞) New Year

        中国では、1911年の辛亥革命後、翌1912年の中華民国の成立時に太陽暦が正式に採用され、元旦は新暦の1月1日へ移動し、旧暦1月1日は「春節」とされ現在に至る。
        そのため2013年は、1913年に始まった「春節」の百年記念とされた。
        関連語として、旧暦大晦日の晩の人気テレビ番組は春晩、春節に伴う民族の大移動は春運などと表現される。

        英語では、Chinese New Yearは中国に限らず中国暦(およびその変種)での旧正月の総称として使える。
        ただし、モンゴルの旧正月は中国暦ではないので含まない。

        Lunar New Yearは、中国暦・モンゴル暦のみならずイスラム暦などを含む、太陰暦・太陰太陽暦一般の年初の総称である。
        各国の旧正月を特にいう場合は、Korean New Yearなどともいえる。
        テト攻勢により、ベトナムの旧正月はTetで通じる。

        Japanese New Yearは日本でのグレゴリオ暦の正月を意味するので、旧正月を意味するには Traditional Japanese New Year という必要がある。

         

                 ロンドンのチャイナタウンでの旧正月

         

        チベット仏教圏
        モンゴル語 - ツァガーンサル (Tsagaan Sar、白い月の意味)

        モンゴル語のツァガーンサルは、「モンゴル暦(en)の年初」の名称であって、他国語での旧正月の名称とイコールで結ばれるものではない。

         

        上座部仏教圏
        タイ語 - ソンクラーン
        ビルマ語 - シンジャン(ティンジャン)
        スリランカ - スリランカの新年
        カンボジア - カンボジアの新年
        ラオス - ラオスの新年

         

        休日

        旧正月が国の休日となっているのは、中国・韓国・北朝鮮・ベトナム・シンガポール・マレーシア・インドネシア・ブルネイとモンゴルである。
        以下の国や地域では、休日は複数日にわたる。
        中国本土 - 法律上は春節から3日だが、一般的に旧暦大晦日から7連休
        香港・マカオ - 旧暦1月3日まで(その3日間に日曜日があるときは旧暦大晦日も)
        中華民国(台湾) - 旧暦1月5日まで
        大韓民国 - 旧暦大晦日から旧暦1月2日まで
        ベトナム - 旧暦大晦日から旧暦1月3日までだが、官公庁や民間企業では、前後1週間程度を休日にする。

         

        風俗

        中華圏

        詳細は「春節」を参照

         


        旧正月の日付

        中国の春節を基本にし、日本やベトナムで異なる年は注記する。
        モンゴルでは大きく異なるので、後述する。

        2000年2月5日
        2001年1月24日
        2002年2月12日
        2003年2月1日
        2004年1月22日
        2005年2月9日
        2006年1月29日
        2007年2月18日(ベトナムでは2月17日)
        2008年2月7日
        2009年1月26日
        2010年2月14日
        2011年2月3日
        2012年1月23日
        2013年2月10日
        2014年1月31日
        2015年2月19日
        2016年2月8日
        2017年1月28日
        2018年2月16日
        2019年2月5日
        2020年1月25日
        2021年2月12日
        2022年2月1日
        2023年1月22日
        2024年2月10日
        2025年1月29日
        2026年2月17日
        2027年2月6日(日本では2月7日)
        2028年1月26日(日本では1月27日)
        2029年2月13日
        2030年2月3日(ベトナムでは2月2日)
        2031年1月23日
        2032年2月11日
        2033年1月31日
        2034年2月19日(旧暦2033年問題の影響を受けるが、日本でも2月19日が有力。)
        2035年2月8日
        2036年1月28日
        2037年2月15日
        2038年2月4日
        2039年1月24日
        2040年2月12日
        2041年2月1日
        2042年1月22日
        2043年2月10日
        2044年1月30日
        2045年2月17日
        2046年2月6日
        2047年1月26日
        2048年2月14日
        2049年2月2日
        2050年1月23日
        2051年2月11日
        2052年2月1日
        2053年2月19日
        2054年2月8日
        2055年1月28日
        2056年2月15日

        各国の違い

        日本と中国、ベトナムでの日付の違い

        中国暦は天体の運行を元にしており、朔や中気がどの日に起こるかで、月の始まりや月名を決める。
        これらの天文現象が観測されるのは世界同時だが、時差により、世界中で同じ日ではない。
        それにより、旧正月が国によって違うことがある。
        たとえば、2007年の雨水の直前の朔が起こったとき、日本(日本標準時、UTC+9)や中国(中国標準時、UTC+8)ではもう2月18日だったが、ベトナム(ベトナム標準時、UTC+7)ではまだ2月17日だった。
        そのため、日本の旧正月や中国の春節は2月18日、ベトナムのテトは2月17日となった。
        このようなずれは、時差1時間あたり、平均して24年に1度ある。21世紀前半では、中国とベトナムの間では2007年と2030年、中国と日本の間では2027年と2028年に起こり、東側の国の旧正月が西側の国より1日遅れる。
        ごく希なことではあるが、旧正月が約1朔望月(29日 - 30日)ずれることもある。
        これは、朔の前24時間以内に中気が起こるときにありうる。
        月名の決定を朔の瞬間と中気の瞬間の比較で考えるとこのようなことはありえないが、正確には朔の瞬間ではなく「朔日の0時」と中気の比較である。観測場所によって「朔日の0時」に時差があるため、中気が朔と同じ日なのかあるいは前の日(すなわち前の月の晦日)なのか異なる場合があり、月名がずれることになる。

        さらに、日本と他国の間では、中国の旧暦である時憲暦(正確には1811年の修正以前の置閏法の時憲暦)と日本の旧暦である天保暦(1811年に修正された後の時憲暦の置閏法を導入して作られた。)との間の置閏法の違いが月のずれを引き起こすことがありうる。
        なお、天保暦(及び1811年に修正された後の時憲暦)の置閏法に欠陥があり、さらに日本では旧暦の公的管理がなされていないため、2034年、2148年、2224年等の日本の旧正月は日付を決定するのが困難である。(旧暦2033年問題参照)(中国においては祝日である春節を決定するために旧暦の公的管理がなされている。) 日本とベトナムとモンゴル以外は、現地の標準時にかかわらず旧暦の計算に中国標準時を使っていて、暦法も同じなので、旧正月は常に一致する。

         

        日本の旧正月

        日本で旧正月は祝日休日になっていない。

        沖縄県(名護市、糸満市などにおける漁師町が特に顕著)、南西諸島を除く日本の旧正月は、一部の神社の祭典や寺での行事が残っているのを除いて特に話題に上ることは少ない。
        しかし、マスメディアで時々報道されるため、日本でも旧正月という言葉自体は残っている。

        杉浦明平の『海の見える村の一年』(岩波新書、1960年)は、著者が住んでいた愛知県渥美郡福江町(現田原市)の記録であるが、その中に、今年から正月の行事を新暦で行うようになったという記述があるので、1950年代には、地方によっては旧正月で行事を行っていた地域もあったと考えられる。

        2010年代から中国人を中心とした旅行客が同時期に日本に集中するようになり、インバウンド消費に貢献した。
        航空券価格の高騰、秋葉原・銀座などにおける電機店・百貨店での爆買いや温泉街・スキーにおける混雑が見られた。
        2015年2月の旧正月時期には、訪日観光客数が単月過去最高の1,387,000人となり、中でも中国からの観光客が前年同月比約2.6倍の359,100人で、中国からの観光客数が初めて30万人を越えた。

         

        モンゴルの旧正月

        モンゴルでは、モンゴル暦の年初であるツァガーンサルが国の祝日となっている。
        モンゴル暦は、インドの暦に起源を持つチベットの太陰太陽暦である時輪暦の一種で、ラマ教(チベット仏教)の宗教行事などに使われている。
        ツァガーンサルの日付は宗教的に決定され、前年に発表される。
        中国などの春節と一致する年も多いが、しばしば1日または1朔望月ずれる。
        常に朔日というわけではなく、少しずれることがある。

        ツァガーンサルの日付は以下のとおり。春節と異なる年は、春節をカッコ内に付記した。
        2003年2月2日(2月1日)
        2004年2月21日(1月22日)
        2005年2月9日
        2006年1月30日(1月29日)
        2007年2月18日
        2008年2月7日

         

        正教会の旧正月

        正教会のうち、ロシア正教会、エルサレム総主教庁、グルジア正教会、セルビア正教会、アトス山などは1月14日を正月として祝う。
        これらの教会が採用しているユリウス暦は現行のグレゴリオ暦と現在13日の乖離があり、ユリウス暦の元日に相当する日付は西暦2100年まではグレゴリオ暦の1月14日である。
        この正月も日本では旧正月と呼ばれる。

                             (Wikipediaより)

         

         

        春節

           春節の風景(神戸南京町)

         

        春節(しゅんせつ、簡体字: 春节 繁体字: 春節 拼音: Chūnjié チュンチエ 注音:ㄔㄨㄣㄐㄧㄝˊ)とは、中国・中華圏における旧暦(時憲暦)の正月(旧正月)である。
        中華圏で最も重要とされる祝祭日であり、新暦の正月に比べ盛大に祝賀され、中国のみならずシンガポールや大韓民国など9か国では数日間の祝日が設定されている。

         

        表現

        春節は中国では過年とも表現され混同されているが、民間での習慣では過年は旧暦12月23日の祭竈(一部地方では12月8日の臘祭)から旧暦正月15日の元宵節までの期間を示すものである。

        春節は正月初一を示す言葉であり、古代においては元旦と称されていた。
        元とは始まるの意味であり、旦とは日の出を示す象形であることから、元旦は最初に日が昇る一日、すなわち正月を示す言葉となった。

        また春節は年、月、日の始まりであることから「三元」とも、それぞれの最初の朝であることから「三朝」とも称されることがある。

                          春節の風景(シンガポール)

         

        由来

        古代中国では年末年初に臘祭を行い先祖や衆神への祭祀が行われ、合わせて豊作を祈念することが一般的に行われていた。

        『書経』には舜が正月に臣下を率いて天を祭祀したことを記す。
        伝説では正月がいつであるかは王朝によって異なり、夏代は夏暦の元月を正月としていたが、殷代になると夏暦の十二月を正月とされ、周代になると十一月を正月としたという。
        秦代になり十月を瑞月(始皇帝の名の政と同音の「正」を避諱して「瑞」に改めた)とした。
        前漢の武帝の代に行われた太初改暦の際に夏暦の元月を正月に定められ、それは清滅亡まで続いた。

        清滅亡後に成立した中華民国では暦法に西洋諸国と同じグレゴリオ暦が採用され、1912年1月1日を民国元年1月1日とする暦法が採用された。
        その後の国共内戦を経て中華人民共和国が成立する直前の1949年9月27日、中国人民政治協商会議第一次全体会議において、新中国成立の際にはグレゴリオ暦を採用することが決定され、新暦の1月1日を元旦、旧暦の正月初一を春節とすることが決定され現在に至っている。

         

        伝承

        春節の来歴に関しては、万年という人物の伝承が民間に伝わっている。

        勤労かつ善良な少年であった万年は、生活の中で樹木の陰影が時期により移動することや水滴の滴る様を見て時間に対する規律性を発見した。
        当時の民衆は時間に対する規律性を知らなかったために、農業などで大きな不便を感じていた。
        万年はこれらの事象から四季を区別し、草暦を編み出した。
        草暦を知った天子はこれを賞賛し春を一年の最初とし、春節と名付けることを命じた。

        その後万年は不完全であった草暦を完全なものとするため研究を続け、老人になり更に正確な暦を作成、その功労として天子によりそれは万年暦と命名され、万年は寿星に封じられた。
        人々は春節を迎えることを過年と表現し、家々では寿星図を準備し万年の功績をしのんだとされる。

         

        習慣

        伝統的には、春節に先立つ行事として旧暦12月24日(23日とも)に大掃除をして竈の神を祭る。

        春節の前日を除夕と呼び、特別な食事を食べる。
        一般に鶏(吉と同音)や魚(余と同音で、「年年有余」を意味するとされる)を食べるとされるが、広大な中国の中では地方により正月料理も大きく異なる。
        北方では餃子が知られており、南方では一年が甘くなるようにとの願いを込めて糖蓮子(zh)や元宵(中国語版)、糖年糕(中国語版)を食べる習慣がある。

        家の入り口には春聯や年画などを貼り、また窓などに剪紙(切り絵)を貼る。
        爆竹を盛大に鳴らすのは中華圏の春節の特徴である。
        芸能としては獅子舞が踊られる。

        春節での習慣としては、起床後に年配者に対して長寿を祝う言葉を述べ、その後近隣住民や知人と春節を祝う言葉を述べ合うものがある(拝年)。
        子供には赤い袋(紅包)にはいった圧歳銭(お年玉)を渡す。

        家庭では春節用の衣装を用意し、新年の華やかさを演出するだけでなく、新年に幸運をもたらす意味を持たせている。

        春節では家族の団欒が重んじられるため、春節前後は帰省者によって交通量が極端に増える。
        これを春運と呼ぶ。
        それとともに、春節の休暇期間を利用して観光旅行をする人々も多い。
        日本でも2010年代頃から中国人を中心に同時期の訪日観光客が増え、爆買いからインバウンド消費に貢献した。
        2月単月で1百万人を超え、航空券やホテル代などの高騰が見られた。

         

        法律

        正月前後が国民の休日となる国は、現在9か国ある。
        中華人民共和国(香港、マカオも含め)

        中国では春節は国定祝日とされ、2008年1月に施行された新しい『労働契約法(労動合同法)』では春節から3日間を祝日と定めた。
        2015年からは除夕から始まる7日間を祝日としている。

        一般に企業は春節の前後7日を長期休暇としており、その前後は都市部から地方に帰省する人々で、中国の公共機関は大混雑となる(春運)。
        中華民国
        大韓民国
        朝鮮民主主義人民共和国
        ベトナム
        シンガポール
        マレーシア
        インドネシア
        ブルネイ
        モンゴル
                            (Wikipediaより)

         

         

        posted by: 1513neoya | とはずがたり | 02:36 | comments(0) | - |
        立春
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          今日2月4日は立春です。

           

          めじろイメージ画像

          立春(りっしゅん)は、二十四節気の第1。
          正月節(旧暦12月後半から1月前半)。

          現在広まっている定気法では太陽黄経が315度のときで2月4日ごろ。
          暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。
          恒気法では冬至から1/8年(約45.66日)後で2月5日ごろ。

          期間としての意味もあり、この日から、次の節気の雨水前日までである。


          季節

          春の初め。
          『暦便覧』には「春の気立つを以って也」と記されている。
          冬至と春分の中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合は、この日から立夏の前日までが春となる。
          九州など暖かい地方では梅が咲き始める。
          この日が寒さの頂点となり、翌日からの寒さを「残寒」または「余寒」といい、手紙や文書等の時候の挨拶などで用いられる。
          そもそも春とは「寒さが増さなくなった時期」として定められたため、春の初頭は当然に寒さが底を打った時期になる。
          よって立春の頃に「暦の上では春なのにまだ寒い」と言い交わすことは、新暦5月頃に見事な""五月晴れ""と言い交わす事と同様本義をわきまえない言い方と言える。

           

          立春は八十八夜、二百十日、二百二十日など、雑節の起算日(第1日目)となっている。
          立春から春分の間にその年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を春一番と呼ぶ。
          桜の開花時期は、立春からの最高気温の合計が540℃という概算法がある(ほかに、元日からの平均気温の合計が600℃、2月1日からの最高気温の合計が600℃という方法もある)。

          一般的な節分とは、立春の前日のことである。
          立春の早朝、禅寺では門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣がある。
          また、中国では立春の日に春餅(チュンビン)を食べる習慣がある。
          また、地域によるが節分の日までが日本で一番寒い時期であり、初めて気温が上昇傾向になる日が立春である。

           

          旧暦と立春

          立春は旧暦1月1日だという勘違いがあるが、ほとんどの場合は正しくない。
          旧暦1日は必ず朔(新月)だが、立春は朔に関係なく定められるため、多くの年は1日にならない。
          ただし約30年に1度、立春が朔と重なり、旧暦1月1日になる年がある(朔旦立春)。
          近年は1954年・1992年がそうで、次は2038年と予測される。

          旧暦(中国・日本の太陰太陽暦)では元日が立春前後に置かれる。
          それは立春のころを年初にし、春の始まりと年の始まりを一致させるためである。
          これを夏正(かせい)という。
          古代中国夏王朝の正月という意である。
          平気法ではそのために、立春の次の雨水を含む月を正月(1月)とする。
          定気法での月名の定義はやや複雑だが、結果はやはり、雨水を含む月が正月となる。

          節切りにあっては立春が年初となる。
          四柱推命や風水などの占いでは、節分までは前年に属し、立春をもって年が改まるとしているものが多い。
          節分の豆撒きは立春を年初として、新しい年の幸運を願っての昔からの習慣である。

          二十四節気の「立春」は、『暦便覧』では「春の気立つを以って也」とされるが、
          時候的な解説では、「大寒から立春までは一年のうちで最も寒い季節であり、立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくる」とされるのが一般的である。
          ただ注意が必要なのは、このような気象的事象のゆえに「立春」が定められたのではなく、冬至から春分への中間点として、暦法上の要請から定められたものだということである。

          春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり、春分から夏至までを spring とするのに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心とし、これらの中間に各季節の区切りとして四立(立春、立夏、立秋、立冬)を設けた。
          したがって、両者の季節の区切りは約1.5か月ずれていることになる。
          なお、日本の気象庁では、3月 - 5月が春、6月 - 8月が夏、9月 - 11月が秋、12月 - 2月が冬としている。


          新年立春と年内立春

          立春の旧暦での日付は大まかに言って、半分の年では新年1月の前半、半分の年では旧年12月(あるいは希に閏12月)の後半である。
          旧年12月(または閏12月)の立春を年内立春、新年1月の立春を新年立春と呼ぶ。
          また特に旧暦1月1日にあたる場合を朔旦立春(さくたんりっしゅん)と呼び、非常に縁起のよい日とされている。

          より正確に言えば、立春の次の節気である雨水を含む暦月が1月なので、立春翌日から雨水当日までの約半月間に朔(新月)があれば、立春は前年12月(または閏12月)なので年内立春であり、その期間に朔がなければ立春は1月であり新年立春となる。

          このように旧暦では年の初めか終わりに立春があり、年によっては2回立春がある反面、立春がない年も発生する。
          この立春のない年を盲年と呼び、結婚には不向きであるとの伝承がある。

          近年の立春の旧暦での日付は次のとおり(未来は予測)。
          19年周期(メトン周期)でほぼ同じ日付が繰り返され、近年では19年中10年が年内立春、9年が新年立春である。

           

          七十二候

          立春の期間の七十二候は以下のとおり。
           初候
            東風解凍(はるかぜ こおりを とく):東風が厚い氷を解かし始める(日本・中国)
           次候
            黄鶯睍察覆Δ阿い なく):鶯が山里で鳴き始める(日本)

          黄鶯睍擦イメージ画像
            蟄虫始振(ちっちゅう はじめて ふるう):冬蘢りの虫が動き始める(中国)
           末候
            魚上氷(うお こおりを のぼる):割れた氷の間から魚が飛び出る(日本・中国)

          魚氷に上るイメージ画像

                              (Wikipediaより)

           

           


          立春(りっしゅん)
           
          2月4日頃(2016年は2月4日)。
          および雨水までの期間。旧暦の正月の節。
          太陽黄径315度
          大寒から数えて15日目頃。

          立春が一年の始めとされ、決まり事や季節の節目はこの日が起点になっています。
          八十八夜、二百十日、二百二十日も立春から数えます。

          冬至と春分の真ん中で、まだまだ寒いですが、暦の上では旧冬と新春の境い目にあたり、この日から春になります。
          梅の花が咲き始め、徐々に暖かくなり、春の始まりとなります。

          立春の早朝、禅寺では、入口に「立春大吉」と書いた紙札を貼る習慣があります。
          厄除けとして、家の鬼門にこの紙札を貼るご家庭もあります。

          「寒中見舞い」は立春の前日まで。
          以降は「余寒見舞い」(2月下旬頃まで)になります。

           

          立春大吉
           「立春大吉」の文字が左右対称で縁起が良く、一年間災難に遭わないといわれています。 

            
          年内立春
          年によっては、旧暦の正月の前に立春を迎えることがあり、これを年内立春といいます。
          立春が旧暦の正月(旧正月)以降に来る場合は新年立春といいます。
          旧暦の元日=立春の日ではありません。 

           


                                                     (日本の行事・暦より)

          posted by: 1513neoya | とはずがたり | 02:13 | comments(0) | - |
          節分・豆まき
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            今日2月3日は節分・豆まきです。

            節分(せつぶん/せちぶん)は、雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のこと。
            節分とは「季節を分ける」ことをも意味している。
            江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指す場合が多い。
            この場合、節切月日の大晦日にあたる。
            本項目では、立春の前日の節分、およびその日に行われる伝統的な行事について述べる。
            大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークである。

            一般的には「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて、年齢の数だけ(もしくは一つ多く)豆を食べる厄除けを行う。
            また、邪気除けの柊鰯などを飾る。
            これらは、地方や神社などによって異なってくる(後述)。

            『吉田神社追儺』 - 都年中行事画(1928年)


            概要

            季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われる。

            節分の行事は宮中での年中行事であり、『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていた。

            「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去された。
            『延喜式』によれば、土偶(土人形の意)も土牛も、各門での大きさは同じで、土偶は高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。
            土牛は高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる。
            陽明門および待賢門には、青色のものを、美福門および朱雀門には、赤色のものを、郁芳門、皇嘉門、殷富門および達智門には、黄色のものを、藻壁門および談天門には、白色のものを、安嘉門および偉鑒門には、黒色のものを立てる。
            『公事根源』十二月には、「青色は春の色ひんかしにたつ赤色は夏のいろ南にたつ白色は秋のいろ西にたつ黒色は冬の色北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土のいろなり木火金水は土ははなれぬ理有」とある。

            これは、平安時代頃から行われている「追儺」から生まれた。

            『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儀が始まり(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」とある)、室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となって行った。

            『臥雲日件録(瑞渓周鳳)』によると、1447年に「鬼外福内」を唱えたと記されている。

            近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった。

            豆まき

            家庭の豆撒きで使用する豆とお面


            邪気を追い払うために、節分には古くから豆撒きの行事が執り行われている。
            宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われる。
            豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。

            豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。
            また、自分の年の数の一つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもある。
            初期においては豆は後方に撒くこともあったと言う。


            豆撒きの仕方

            豆を撒く際には掛け声をかける。
            1447年の「臥雲日件録」には「散熬豆因唱鬼外福内」とあるように、掛け声は通常「鬼は外、福は内」である。
            しかし、地域や神社によってバリエーションがある。
            鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている。
            新宗教の大本は鬼神を「艮の金神(国常立尊)」と解釈しているので、同じく「鬼は内」とする。
            家庭内での豆まきに於いても、「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。
            大名九鬼家の領地でも、藩主に敬意を表して「鬼は内」としている。
            また、丹羽氏が藩主であった旧二本松藩領内の一部では「鬼は外」と言うと「おにわそと」転じて「お丹羽、外」となるため、それを避けるために「鬼、外」と言う所がある。

            使用する豆は、お祓いを行った炒った大豆(炒り豆)である。
            豆を神棚に供えてから撒く地方もある。
            炒り豆を使用するのは、節分は旧年の厄災を負って払い捨てられるものであるため、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであるという。
            北海道・東北・北陸・南九州の家庭では 落花生を撒き、寺社や地域によっては餅や菓子、みかん等を投げる場合もあるが、これは「落花生は大豆より拾い易く地面に落ちても実が汚れない」という合理性から独自の豆撒きとなった。

            かつては、豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用されたという。
            豆撒きとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったからとする説もあるが定かではない。


            近代の傾向

            節分の時期になると、多くのスーパーマーケットでは節分にちなんだコーナーが設けられ、その中で福豆(ふくまめ)として売られている。
            厚紙に印刷された鬼の面が豆のおまけについている事があり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。
            しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった。
            豆のおまけとしてお多福の面がついてくることもある。

            小学校では5年生が年男・年女にあたる。
            そのため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところも多い。
            神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所もある。
            相撲力士を招いて(醜・しこ・四股を踏む事により、凶悪な鬼を踏みつけ鎮める悪魔祓いをする)豆撒きをする社寺もある。


            日本の節分祭・節分会

            神社では節分祭(せつぶんさい)、寺院では節分会(せちぶんえ)の呼称が一般的である。

            神社
            五條天神社(東京都台東区)- うけらの神事。大儺の儀式が催行される
            浜松八幡宮(浜松市) - 2日の夕刻に追儺式を行い、3日には豆まきを行う
            稲荷鬼王神社(東京都新宿区) - 「福は内、鬼は内」
            鬼鎮神社(埼玉県嵐山町) - 「福は内、鬼は内、悪魔は外」
            三峯神社(埼玉県秩父市) - ごもっとも神事
            箱根神社(神奈川県箱根町) - 厚化粧の少女の巫女たちが水上スキーの鬼に豆を撒く
            吉田神社(京都市左京区) - 室町時代より続く伝統行事であり、古式に則った追儺式が行われる。
            八坂神社(京都市東山区) - 舞妓の豆撒き
            大原神社(京都府福知山市三和町) - 「鬼は内、福は外」
            日吉大社(滋賀県大津市) - 破魔矢を射る「放射の儀」
            長田神社(神戸市長田区) - 七匹の鬼が、松明で種々の災を焼き尽くし太刀で不吉を切り捨て、踊る
            吉備津神社(岡山県岡山市) - 豆まきのあと焚き火を囲んでほら吹き大会-ほら吹き神事
            防府天満宮(山口県防府市) - 神くじにより御神幸祭の神牛役を定めるという牛替神事
            須佐神社(島根県出雲市) - 蘇民将来の説話にちなんで茅の輪くぐりや神楽の奉納がある

            寺院
            浅草寺(東京都台東区) - 浅草観音の前には鬼はいないとされるため「福は内」のみ、浅草に縁のある落語家・演歌歌手などが参加する。
            池上本門寺(東京都大田区) - 境内に鬼子母神を祀るので「福は内」のみ、力道山の墓所があるため格闘技関係者(プロレスラー・プロボクサー)などが出仕する。
            高幡不動尊(東京都日野市) - 不動明王の前には鬼はいないとされるため「福は内」のみ。
            高尾山薬王院(東京都八王子市) - 高尾山内や薬師如来の前には鬼はいないとされるため「福は内」のみ。
            中尊寺(岩手県平泉町) - 相撲力士を迎え、厄男厄女による厄払い招福を祈る
            龍光寺(群馬県富岡市) - 園児が厚化粧、裃を着て登場(稚児行列)
            總願寺(埼玉県加須市) - 大たいまつの赤鬼、力士、稚児行列
            成田山新勝寺(千葉県成田市) - 不動明王の前には鬼はいないとされるため「福は内」のみ、相撲力士と、その年のNHK大河ドラマの主演を含む出演者がそれぞれ5名前後参加するのが恒例となっている。
            報恩寺(千葉県長南町) - 「福は内、鬼も内、鬼の目玉ぶっ飛ばせ!!」
            川崎大師(神奈川県川崎市川崎区) - 不動明王や薬師如来の前には鬼はいないとされるため「福は内」のみ。
            最乗寺(神奈川県南足柄市) - 舞妓の豆撒き
            成田山福井別院(福井県坂井市) - 舞妓の豆撒き
            大須観音(名古屋市中区) - 鬼の面を寺宝としているため「福は内」のみ
            廬山寺(京都市上京区) - 三色の鬼が舞い踊る
            金峯山寺(奈良県吉野町) - 「福は内、鬼も内」

            その他
            鬼恋節分祭(群馬県藤岡市) - 「福は内、鬼は内」! 鬼呼び豆まき。合併で消滅した鬼石町の名にちなむ。
            鬼岩福鬼まつり(岐阜県御嵩町) - 「鬼は内」

                                (Wikipediaより)

             

             

            まめまき(豆まき)

            鬼は外 福は内♪ 節分の豆まきを歌った昭和初期の日本の唱歌

            「鬼は外 福は内(おにはそと ふくわうち)」が歌い出しの童謡『まめまき(豆まき)』は、昭和初期に「えほん唱歌」上で発表された唱歌。

             歌詞では「ぱらっ ぱらっ」と節分の豆がまかれる様子が擬音で表現され、1番では鬼がこっそり逃げていく様子が、2番では福の神を招き入れる様子が描写されている。

            えほん唱歌とは?

            童謡『まめまき』が掲載された「えほん唱歌」(絵本唱歌)とは、昭和6年から8年にかけて音楽教育書出版協会から出版された児童・幼児向け唱歌集。

            出版当時のタイトルは「ヱホンシャウカ」。
            春、夏、秋、冬の4冊が出版され、選曲には季節感が重視されている。
            『まめまき』は「冬」号に掲載された。
            『まめまき』以外の曲は現在ではあまり歌われていないようだ。

             歌詞:童謡 『まめまき』

            おにはそと
             ふくはうち
             ぱらっ ぱらっ
             ぱらっ ぱらっ
             まめのおと
             おには こっそり
             にげていく

            おにはそと
             ふくはうち
             ぱらっ ぱらっ
             ぱらっ ぱらっ
             まめのおと
             はやく おはいり
             ふくのかみ
                                                 (世界の民謡・童謡より)

            https://youtu.be/tN3wkS4i6lM


            節分の豆まきの由来と作法

            節分といえば、豆まき!
            子供の頃から慣れ親しんでいるせいか、当たり前のようにやっている方が多いと思います。
            しかし、よく考えてみるとどうして?と思うことが少なくありません。
            そこで、主な疑問を解決し、正統派豆まきをマスターしてみましょう。

            【 INDEX 】
             1・どうして鬼のふんどしは虎柄なの?……豆まきに関するどうして?シリーズ
             2.豆はいくつ食べるの?……典型的な豆まきのしかた

            どうして豆まきをするの?
            本来、節分とは季節の変わり目である「立春、立夏、立秋、立冬の前日」のことをいいますが、春を迎えるということは新年を迎えるにも等しいぐらい大切な節目だったため、室町時代あたりから節分といえば立春の前日だけをさすようになりました。


            立春は二十四節気の最初の節気。

            季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられており、新しい年を迎える前に邪気を払って福を呼び込むために、宮中行事として追儺(ついな)という行事が行われるようになり(俗に鬼やらいや厄払いとも呼ばれます)、その行事のひとつ豆打ちの名残りが豆まきというわけです。

            どうして鬼をやっつけるの?どうして鬼はあんな格好なの?
            「鬼」という字を「おに」と読みますが、「おに」という日本語は「陰(おん)」に由来します。
            「陰」とは目に見えない気、主として邪気のことをさし、それが「おに」なのです。
            また、隠れているこわいものとして「隠人(おんにん)」が変化したという説もあり、形の見えない災害、病、飢饉など、人間の想像力を超えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられていたのです。

            つまり、新しい年(立春)を迎える前日(立春の前日・節分)に、鬼に豆をぶつけて邪気(おに)を払い、福を呼びこもうというわけです。

            また、十二支の丑というのも陰陽でいうと陰になり、鬼が住むのは鬼門である丑寅の方角なので、鬼は牛(丑)の角と虎(寅)の牙を持ち、虎の皮のふんどしをしているのです。(※ヒョウ柄ではありませんからお間違えのないように)


            どうして大豆なの?
            大豆は五穀の一つで穀霊が宿るとされており、米に次いで神事に用いられてきました。
            米よりも粒が大きく、穀霊で悪霊を祓うのに最適であることや、魔の目(魔目=まめ)に豆をぶつけて魔を滅する(魔滅=まめ)にも通じます。
            また、昔々、京都鞍馬山に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけて退治したという話もあります。

            ただし、豆まきに用いられる豆は炒り豆でなくてはいけません。
            これは、生の豆を使って拾い忘れたものから芽が出てしまうと縁起が悪いとされているからで、「炒る」が「射る」にも通じます。
            つまり、「魔目」を「射る」ことで「魔滅」となるわけです。
            大概、節分用に市販されている大豆は炒ってありますが、一応ご注意ください。


            どうして鰯や柊も関係するの?

            柊に鰯の頭を刺した「焼嗅」。
            こんな情景も珍しくなりました。
            昔から臭いのきついものや尖ったものを厄払いに用います。
            そこで、鬼の嫌いなものは「臭い鰯(いわし)の頭」と「痛い柊(ひいらぎ)のトゲ」とされ、鰯の頭を焼いて柊の枝に刺し、それを家の戸口に置いて鬼の侵入を防ぐ焼嗅(やいかがし)という風習がうまれました。
            また、鰯を戸口で焼いて臭いをかがせることを焼嗅と呼んだり、鰯の頭を柊の枝に刺したものを柊鰯、鰯柊と呼ぶこともあります。

            最近は焼嗅を玄関先に取りつけるお宅も少なくなりましたが、家の中に飾る方は多いです。
            また、節分に鰯料理を食べる方も多く、住環境の変化とともに取り入れ方も変わりつつあるようです。

            【ちょっぴり雑学】 「鰯の頭も信心から」
            鰯の頭のようなつまらないものでも、信仰すれば非常に尊いものに思えることから、信仰心の不思議さを例えたことわざ。
            皮肉の意味で使われることが多いようです。

            ところで、豆まきってどうやりますか?
            各家庭で微妙に違う豆まきルール。
            典型的なやり方と比較してみてください。

            典型的な豆まきのしかた

             
            住宅事情もあって豆まきが出来る家庭も減少ぎみ。
            豆まきが出来ることも幸せなのかもしれません…福は内〜!
            豆まきのしかたも千差万別。
            各家庭でいつのまにかできた我が家のルールがあるものですが、典型的な(家庭版)豆まきのしかたも参考にしてみてください。

            ●1: 福豆を準備します
            ……福豆とは炒った大豆のこと。
            豆を炒り、豆まきをする夜まで枡、」または三方(神様にお供えものをする器)に入れて神棚に供えておきます。

            ●2:豆まきは夜に行います
            ……鬼は真夜中にやってくるので、豆まきは夜が適しています。必ず家族全員揃ってから行いましょう。

            ●3:豆を撒くのは一家の主人
            ……本来は家長の役目ですが、年男、年女、厄年の人が豆まきをする場合もあります。とはいえ、家族のイベントという意味合いも強いので家族全員でどうぞ。

            ●4:「鬼は外!福は内!」と豆を撒く
            ……家の玄関や窓を開けて「鬼は外!」と豆を撒き、鬼が戻らないようすぐに戸や窓を閉めてから、「福は内!」と部屋の中に撒きます。奥の部屋から順番に鬼を追い出すようにして最後は玄関まで撒きましょう(口上、回数、順番などは地方によって異なりますし、珍しい事例がたくさんあります)。胸の辺りで枡を持ち、そこから撒くような感じで撒きましょう。

            ●5:最後に豆を食べましょう
            ……豆まきが終わったら、1年の厄除けを願い、自分の年齢よりも1つ多く豆を食べます(新しい年の厄払いなので1つ多く食べる、いわゆる 数え年として1つ多く食べる、もともとが数え年と考え新年の分を加えて2つ多く食べる、満年齢のまま食べるなど、地方によって異なる場合もあります)。数が多くて豆が食べきれない場合には、福茶を飲む方法でも構いません。(→節分の豆の食べ方…福茶でhappy!)

                                (ALL ABOUT 暮らしより)

             

            posted by: 1513neoya | とはずがたり | 03:32 | comments(0) | - |
            初午
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              今日2月2日は初午です。

               

              初午
              初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。
              稲荷社の祭であり、初午祭に初午詣(福詣)する参詣者が訪れ、これを雑節の一つとすることがある。
              旧暦で行う事もあり、その場合は3月となる事もある。

              稲荷社の本社である伏見稲荷神社のご祭神・宇迦御霊神が伊奈利山へ降りた日が和銅4年2月11日(711年3月4日。
              2月9日(3月2日)説もある)であったとされ、この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。

              この日を蚕や牛・馬の祭日とする風習もある。
              江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。

              本来は旧暦2月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。
              そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。
              また今では2月最初の午の日とされるが、古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた。

              2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある。

              初午は、その年の豊作祈願が原型で、それに稲荷信仰が結びついたものである。
              4月初めの巳の日の菜の花祭りの夜と初午のいずれかに雨が降らないと火に祟られるとか、初午の早い年は火事が多いとかいう俗信もある。
              また、初午の日に、消防団員が各家庭を回って火の用心を呼びかけ、火の用心のお札を配る習慣がある地方もある。

              富山県南砺市利賀村(旧・東礪波郡利賀村)の上村(うえむら)地区では、子供たちが藁でできた馬(午)の頭をもって家々を回り、家の中に上がり込み囃し歌に合わせ舞う「利賀のはつうま」が行われる。
              各家庭からはお礼にお菓子やみかんなどのご祝儀をもらう。
              昭和57年(1982年)12月21日には「利賀のはつうま行事」として国の選択無形民俗文化財に選択され、平成16年(2004年)7月16日には、富山県の無形民俗文化財に指定されている。

              また、奈良県では、この初午の日に、旗飴(はたあめ)という習慣がある。
              これは、子供たちが近所の家(地域によっては商売を行っている家)を訪ね廻り、旗飴をもらうというハロウィンに似たものである。

              栃木県ではしもつかれを食べる風習がある。

              「初午いなり」といい、稲荷寿司を供える風習もある。

                                  (Wikipediaより)

               

               

              初午(はつうま)
               
              2月最初の午(うま)の日(平成31年は2月2日)。
              本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていました。

              和銅4年(711)のこの日に、稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれています。

              この日をしのび、伏見稲荷大社をはじめ、愛知の豊川稲荷や佐賀の祐徳稲荷神社など、全国の稲荷神社で盛大にお祭り(初午大祭)が行われます。

              また、立春を迎える2月の最初の午の日は、一年のうちで最も運気の高まる日とされています。
              ※「午(うま)」は方位の南を示し、時間は正午を表わします。この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで陽光の力が最も強まる時といわれています。

              餅まきが行われる地域もあります。
               

              稲荷(いなり)


              「稲生(いねなり)」が縮まったもの。
              「稲」の神様「御饌神(みけつがみ)」(食物の神様)を 祀ったものであることから、商売繁盛、五穀豊穣などを祈願します。 
                                  (日本の行事・暦より)

               

               

               

               

               


              稲荷寿司・稲荷鮨(いなりずし)は、甘辛く煮た油揚げの中に、酢飯を詰めた寿司の一種。
              お稲荷さん、お稲荷、いなりなどとも呼ばれる。
              各地に特徴的な稲荷寿司がある。


              概要

              袋状に開いた油揚げを甘くあるいは甘辛く煮付け、寿司飯をそのまま、あるいはニンジンやシイタケなどの具材を煮込んで混ぜた寿司飯を詰める一種の印籠寿司である。
              稲荷神社の稲荷神(五穀を司る宇迦之御魂神・倉稲魂命を参照)は商売繁盛と共に豊作の神様であり、米を使用した俵型の稲荷寿司につながる。
              一般的には米俵を模した俵型(円筒に近い直方体)に仕上げる。

              油揚げをひっくり返してから中身を詰めるもの、三角油揚げを用いて三角形に仕上げるものなど、地域によって異なる(後述)。

              いわゆる高級な寿司屋ではあまり見られないが、庶民的な店やテイクアウト専門の寿司屋では人気の安価な食べ物であり、家庭で作るなど行楽の弁当などにも良く登場する。


              歴史

              稲荷寿司に関する最古の史料として江戸時代末期に書かれた『守貞謾稿』があり、

              天保末年(旧暦1844年、新暦1844年2月〜1845年1月)、江戸にて油揚げ豆腐の一方をさきて袋形にし、木茸干瓢を刻み交へたる飯を納て鮨として売巡る。
              (中略)なづけて稲荷鮨、或は篠田鮨といい、ともに狐に因ある名にて、野干(狐の異称)は油揚げを好む者故に名とす。
              最も賤価鮨なり。
              尾の名古屋等、従来これあり。
              江戸も天保前より店売りにはこれあるか。

              と記載されている。

              『天言筆記』(明治成立)には飯や豆腐ガラ(オカラ)などを詰めてワサビ醤油で食べるとあり、「はなはだ下直(げじき-値段が安いこと)」ともある。
              『近世商売尽狂歌合』嘉永5年(1852)の挿絵には、今日ではみられない細長い稲荷ずしを、切り売りする屋台の様子が描かれている。

              本来、稲荷神は狐ではないが、江戸時代には俗信により同化とみなす向きがあった。
              これにより、稲荷神の神使である狐の好物が油揚げであるという言い伝えからその名がついたともされている。

               

              地方の稲荷寿司

              地方によっては、「こんこん寿司」・「きつね寿司」などとも呼ばれる。稲荷寿司を、煮あげた干瓢などで縛ることもある。

              青森県津軽地方
              酢飯に紅ショウガとクルミを入れる。
              酢飯は紅ショウガにより全体がピンクに色付けされている。

              妻沼地区
              埼玉県熊谷市妻沼地区の稲荷寿司(聖天寿司など)は、通常の倍ほどの長さである。

               

              東京
              伝統的には揚げを色濃く煮染めて使用するが、色の薄い揚げの場合もある。

              西日本
              西日本では酢飯のみで作ることは稀で、通常は椎茸や人参、ごまなどの具材が入る(五目稲荷ともいう)。
              東日本の俵型に対し、油揚げを対角線に切った三角形に作るのも特徴である。


              地域によっては「揚寿司(あげずし)」、また年配者には「しのだ寿司」(「信太鮨」、「志乃田寿司」、「信田寿司」)と呼ばれることもある。

               

               

              沖縄
              沖縄県には、味付けしない油揚げに酢飯を詰めただけのシンプルな稲荷寿司が存在する。
              うるま市の丸一食品が発祥とされるが、現在では模倣店が多数存在するほか「沖縄風いなり」という名称で惣菜店やスーパーマーケット、コンビニエンスストア等でも販売されている。

              日本国外
              ハワイなど、かつて多くの日本人が移民した土地でもポピュラーな食品となっている。
              また台湾や韓国、ミクロネシアの島々にも日本統治時代に広まり、台湾では豆皮壽司、韓国ではユブチョバプ(油揚げ寿司)と呼ばれる。

               

              関連

              助六寿司(太巻きと稲荷寿司)
              稲荷寿司と巻き寿司を組み合わせた折り詰めは助六寿司と呼ばれる。
              歌舞伎十八番「助六由縁江戸桜」の主人公、助六の愛人の名が揚巻であることから、 油揚げと巻き寿司の洒落から名付けられている。

               

              セットメニュー

              蕎麦やうどんとセットにしたメニューが、立ち食いそば・うどん店などにある。

              蕎麦稲荷

              中身を寿司飯の代わりに蕎麦としたものを「蕎麦稲荷」という(「寿司」ではない)。

                                  (Wikipediaより)

               

               

                         稲荷神社の総本宮・伏見稲荷大社

              稲荷神

              神道

              稲荷神(いなりのかみ、いなりしん)は、日本における神の一つ。
              稲荷大明神(いなりだいみょうじん)、お稲荷様・お稲荷さんともいい、貴狐天皇(ダキニ天)、ミケツ(三狐・御食津)、野狐、狐、飯綱とも呼ばれる。
              稲荷系の神社では、玉藻の前(九尾の狐・殺生石)が祭られていることもある。

              稲荷神社の総本社は伏見稲荷大社とされている。
              元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神で、現存する旧社家は大西家である。

               

              概要

              稲荷神を祀る神社を稲荷神社(いなりじんじゃ)と呼ぶ。
              京都市伏見区にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっているが、歴史上(下記参照)仏教系寺院も数多く含まれる。
              神道系神社では朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボルとして広く知られ、廃仏毀釈が起こる前の仏教系寺院でも鳥居が建てられ、現存する寺院もある。
              「イナリ」は「稲荷」と表記するのが基本だが、「稲生」や「稲成」、「伊奈利」とする神社も存在する。

               

              祭神

              稲荷神(稲荷大神、稲荷大明神)は、山城国稲荷山(伊奈利山)、すなわち現在の伏見稲荷大社に鎮座する神で、伏見稲荷大社から勧請されて全国の稲荷神社などで祀られる食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神である。
              また神仏習合思想においては仏教における荼枳尼天と同一視され、豊川稲荷を代表とする仏教寺院でも祀られる。

              神道の稲荷神社では『古事記』、『日本書紀』などの日本神話に記載される宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも書く)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などの穀物・食物の神を主な祭神とする。

              総本宮である伏見稲荷大社では、主祭神である宇迦之御魂大神を中央の下社、佐田彦大神を中社、大宮能売大神を上社に据え、明応8年(1499年)に本殿に合祀された左右の摂社、田中大神・四大神とともに五柱の神を一宇相殿(一つの社殿に合祀する形)に祀り、これら五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としている。

              稲荷社によっては祭祀する祭神が異なり、例えば、
              生玉稲荷神社(名古屋市守山区) - 倉稲魂神、大巳貴命、保食神、大宮能姫神、太田神
              笠間稲荷神社(茨城県笠間市)- 宇迦之御魂神
              豊受稲荷神社(千葉県柏市) - 主祭神に稲蒼魂命、配神に大己貴命、大田命、大宮姫命、保食命
              祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市) - 倉稲魂大神、大宮売大神、猿田彦大神
              竹駒神社(宮城県)- 倉稲魂神、保食神、稚産霊神

              また豊受稲荷神社では、大己貴命を佐田彦大神、大宮姫命を田中大神、保食命を四大神に、祐徳稲荷神社では大宮売大神をアメノウズメノミコトに当てている。


              本尊

              仏教系寺院では荼枳尼天を奉じている。
              豊川稲荷(愛知県豊川市)- 豊川吒枳尼眞天
              最上稲荷妙教寺(岡山市北区)- 最上位経王大菩薩、八大龍王尊、三面大黒尊天

               

              稲荷社の広がり

              日本の神社の内で稲荷神社は、2970社(主祭神として)]、32000社(境内社・合祀など全ての分祀社)を数え、屋敷神として個人や企業などに祀られているものや、山野や路地の小祠まで入れると稲荷神を祀る社はさらに膨大な数にのぼる。
              江戸の町の至る所で見かけられるものとして「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」とまで言われるようになった。
              本来は穀物・農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されている。

              稲荷神社は日本全国に点在するが、その中でも東日本に多く信仰されている。
              例えば、武蔵府中においては、明治時代初期に市内に6ヶ所で稲荷神社が祀られており、市内の家々の屋敷神は566件にも上るなど、多摩地域においては顕著である。

               

               

              稲荷神と狐

              豊川稲荷の狐(愛知県)


              稲荷と狐はしばしば同一視されており、例えば『百家説林』に「稲荷といふも狐なり狐といふも稲荷なり」という女童の歌が記されている。

              狐は古来より日本人にとって神聖視されてきており、早くも和銅4年(711年)には最初の稲荷神が文献に登場する。
              宇迦之御魂神の別名に御饌津神(みけつのかみ)があるが、狐の古名は「けつ」で、そこから「みけつのかみ」に「三狐神」と当て字したのが発端と考えられ、やがて狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まった。
              なお、「三狐神」は「サグジ」とも読む。
              時代が下ると、稲荷狐には朝廷に出入りすることができる「命婦」の格が授けられたことから、これが命婦神(みょうぶがみ)と呼ばれて上下社に祀られるようにもなった。

              上記されているように稲荷神は元々は農業神であるが、狐は穀物を食い荒らすネズミを捕食すること、狐の色や尻尾の形が実った稲穂に似ていることから、狐が稲荷神の使いに位置付けられた。

              江戸時代に入って稲荷が商売の神と公認され、大衆の人気を集めるようになると、稲荷狐は稲荷神という誤解が一般に広がった。
              またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もあった。
              また仏教の荼枳尼天は、日本では狐に乗ると考えられ、稲荷神と習合されるようになった。
              今日稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)である。

              稲荷神社の前には、狛犬の代わりに、宝玉をくわえた狐の像が置かれることが多い。
              他の祭神とは違い、稲荷神には神酒・赤飯の他に稲荷寿司およびそれに使用される油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を「稲荷」とも呼ぶようになった。
              ただし狐は肉食であり、実際には油揚げが好物なわけではない。

               

              由来

              伏見稲荷大社を創建したと伝えられる秦氏族について、『日本書紀』では次のように書かれている。
              欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたところ、山背国紀伊郡深草里に秦の大津父がいた。
              平安時代に編纂された『新撰姓氏録』記載の諸蕃(渡来および帰化系氏族)のうち約3分の1の多数を占める「秦氏」の項によれば、中国・秦の始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)。

              雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実で、とりわけ秦氏族は絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立った。
              朝廷によって厚遇されていたことがうかがわれるのも、以上の技能を高く買われてのことだと考えられている。
              彼らは畿内の豪族として専門職の地位を与えられていた。
              こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てた。
              深草の秦氏族は系譜の上で見る限り、太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、稲荷社を創建した秦伊呂巨(具)となっており、いわば分家と考えられていたようである。

               

              歴史

              『山城国風土記』逸文には、伊奈利社(稲荷社)の縁起として次のような話を載せる。
              秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
              するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。
              そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
              伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。
              また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。

              都が平安京に遷されると、この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、それにより稲荷神が広く信仰されるようになった。
              さらに、東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになった。
              『二十二社本縁』では空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれている。

              東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん、インドの女神ダーキニー)に稲荷神を習合させ、真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなった。
              荼枳尼天は人の心臓を食らう夜叉、または、羅刹の一種で、中世には霊狐と同一の存在とみなされた。
              このことにより祟り神としての側面も強くなったといわれる。

              稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視され、後に他の食物神も習合した。
              中世以降、工業・商業が盛んになってくると、稲荷神は農業神から工業神・商業神・屋敷神など福徳開運の万能の神とみなされるようになり、勧請の方法が容易な申請方式となったため、農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになった。
              江戸時代には芝居の神としても敬われるようになり、芝居小屋の楽屋裏には必ず稲荷明神の祭壇が設けられるようになった。

              明治政府による神仏分離の際、多くの稲荷社は宇迦之御魂神などの神話に登場する神を祀る神社になったが、一部は荼枳尼天を本尊とする寺になった。

              稲荷寿司は「お稲荷さん」とも呼ばれており、稲荷神社の稲荷神(稲生り、つまりお米の出来を司る神様)から、俵を模した俵型の寿司が稲荷寿司となった。
              三角形の稲荷寿司が狐の耳を模しているという説もあるが、狐は肉食であって油揚げを好むわけではなく、稲荷神社の狐と関連させた後付けともされる。

               

              信仰

              稲荷神社では、2月(新暦・旧暦)最初の午の日を初午とし「初午祭」が行われる。
              これは伏見稲荷神社の祭神が降りたのが和銅4年(711年)2月の初午だったからと言われる。
              行灯に地口とそれに合わせた絵を描いた「地口行灯」を街頭に飾ることもある。

              稲荷信仰は様々である。
              神道的稲荷で祭祀者が神職で宇迦之御魂神・保食神などを祀る神社によるもの、仏教的稲荷で祭祀者が僧侶・修験者で、寺の鎮守堂で荼枳尼天を祭祀しているもの、民俗的稲荷で祭祀者が土地所有者や氏子・講員などで、狐神・山の神・水神・福神・御霊神などとして信仰されているものがある。


              その他
              ・稲荷木(とうかぎ)(稲架掛け(はさかけ)の木)と呼ぶ町が千葉県市川市にある。また「稲荷」と付く地名も日本には多くある。
              ・広島市中区円隆寺境内の稲荷大明神(とうかだいみょうじん、とうかさん)や福岡県大牟田市の稲荷神社(とうか神社)の様にいなりと読まない場合もある。
              ・構造様式分類として稲荷鳥居(inari torii いなりとりい)があり、複数の鳥居を連ね、祈りと感謝の念を表した。
              ・稲荷木落(いなりぎおとし):1850年頃(嘉永年間)に出来た中川水系の排水路。埼玉県加須市から、久喜市新井と同市八甫二丁目の境界で、中川の左岸へ合流する。
              ・出雲国風土記の飯成(いいなし)郷(現:島根県安来市)の説話では大国魂命の降臨譚が述べられており、倉稲魂命と共に意多伎神社に祀られている。
              ・和歌山県有田市(旧・糸我町)の「糸我稲荷神社」を日本最初・最古の稲荷神社とする説がある。文化7年(1810)当時の神官、林周防が寺社奉行に報告した「糸鹿社由緒」によると、創建は「37代孝徳天皇白雉3年壬子の春、社地を正南森に移し、糸鹿社と申す」とあり、伏見稲荷神社の創建より約60年も前に遡る。

                                  (Wikipediaより)

               

               

              posted by: 1513neoya | とはずがたり | 00:10 | comments(0) | - |
              2月
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                今日から2月です。

                 

                昨日の雨は1月で初めて降りました。

                さいたま市の雨量は10.5mmでした。

                 

                2月

                2月(にがつ)はグレゴリオ暦で年の第2の月に当たり、通常は28日、閏年では29日となる。

                他の月の日数が30または31日なのに対して、2月だけ28または29日なのは、アウグストゥスが紀元前8年、8月の日数を30日から31日に変更し、そこで不足した日数を2月から差し引いたためである。
                それ以前のローマ暦では、年初は3月であったため、単に年末の2月から日数を差し引いた。

                欧米での呼び名であるFebruaryはローマ神話のフェブルウス (Februus) をまつる祭りから取ったと言われている。


                日本における2月

                日本では旧暦2月を如月(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼び、現在では新暦2月の別名としても用いる。
                「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない。
                「きさらぎ」という名前の由来には諸説ある。

                旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」
                草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」
                前年の旧暦八月に雁が来て、更に燕が来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」
                陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」

                他に梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もある。
                旧暦二月は新暦では3月ごろに当たり、梅の花が咲く時期である。


                異名

                いんしゅん(殷春)、うめみづき(梅見月)、きさらぎ(如月・衣更月)、けんうづき(建卯月)、ちゅうしゅん(仲春)、なかのはる(仲の春・中の春)、はつはなつき(初花月)、ゆききえつき(雪消月)、ゆきげしづき(雪消月)、れいげつ(麗月・令月)、をぐさおひつき(小草生月)


                2月の季語

                2月は季語が少ないが俳句の上では春の季語が多い。

                立春、寒明、初春、早春、春浅し、睦月、旧正月、二月礼者、ニの替、絵踏、初午、針供養、奈良の山焼、 雪解、雪しろ、雪崩、残雪、雪間、凍解、氷解、薄氷、沍返る(いてかえる)、冴返る、春寒、余寒、 春の風邪、春時雨、猫の恋、白魚、公魚(わかさぎ)、鰔(さより)、野焼く、焼野、山焼く、末黒の芒(すすき) 麦踏、木の実植う、猫柳、片栗の花、雛菊、春菊、菠薐草(ほうれんそう)、蕗の薹(ふきのとう)、水菜、 海苔、獺の祭、鳴雪忌(2月20日、内藤鳴雪翁の忌日)、梅、梅見、盆梅、紅梅、黄梅、鶯(うぐいす)、下萌、いぬふぐり、菜種御供、磯竈、若布(わかめ)、バレンタイン、義仲忌、実朝忌、比良八講
                                    (Wikipediaより)

                 

                二月(如月・きさらぎ)

                如月

                寒さのために更に着物を重ねて着るので「衣更着」という説があります。

                季節:初春(しょしゅん) ※立春から啓蟄の前日まで。

                 

                 
                2月の他の別名
                 

                小草生月(おくさおいつき)
                華朝(かちょう)
                仲春(ちゅうしゅん)
                初花月(はつはなづき)
                梅津早月(うめつさつき)
                建卯月(けんぼうげつ
                麗月・令月(れいげつ)


                2月の自然

                霰(あられ) ダイヤモンドダスト
                氷霧 霜夜 雪解け 余寒
                寒明の雨 春一番 三寒四温
                東風 雪間 薄氷


                2月の行事・暦・祭り(平成31年・2019年)

                1日 (金)  冬土用の間日
                2日 (土)  初午
                3日 (日)  節分 冬土用明け
                4日 (月)  立春
                8日 (金)  針供養(主に関東)
                11日 (月・祝)  建国記念の日
                14日 (木)  二の午
                19日 (火)  雨水
                25日 (月)  北野天満宮梅花祭

                26日 (火)  三の午
                                     (日本の行事・暦より)

                 

                posted by: 1513neoya | とはずがたり | 03:07 | comments(0) | - |
                板東駅前通り
                0

                  平成22年3月21日

                   

                  JR板東駅 BANDO STATION

                   

                   

                  八十八ヶ所巡拝 板東タクシー

                   

                   

                  駅前の通りは誰も歩いていないですね

                   

                   

                  一番札所 

                   

                   

                  奉供養四國西國

                   

                   

                  お地蔵さん

                   

                   

                  消防署

                   

                   

                  郵便局 板東

                   

                   

                  寄り合い お接待  一番さんの縁どころ

                   

                  posted by: 1513neoya | 歩きお遍路 | 04:12 | comments(0) | - |
                  JR徳島駅からJR板東駅へ
                  0

                    平成22年3月21日

                     

                    泊まった宿を出ると

                     

                     

                    空一面黄色です。

                    黄砂です。

                     

                     

                    初めて見る光景です。

                     

                     

                    JR徳島駅です。

                     

                     

                    今度の発車は

                     

                    普 通 6:12  高 松 

                     

                     

                    高松行きの列車

                     

                     

                    6時30分 JR板東駅に着きました。

                     

                     

                    駅員さんが「出発 進行」の指示を出しています。

                     

                     

                    列車は高松を目指して動き出しました。

                     

                    posted by: 1513neoya | 歩きお遍路 | 02:10 | comments(0) | - |
                    徳島駅前
                    0

                      平成22年3月20日

                       

                      19時54分 JR徳島駅前に着きました。

                       

                       

                      大勢の人が高速バスを利用するんですね。

                       

                       

                      駅前の大きなビルです。

                       

                       

                      とくしま CITY

                       

                       

                      TOKYU INN

                       

                       

                      シャングリ・ラ

                       

                      徳島 東急イン

                       

                      ここに泊まります。

                       

                      posted by: 1513neoya | 歩きお遍路 | 02:29 | comments(0) | - |